【マラソン】練習は「川内メソッド」。どん底から這い上がった無職のランナー・藤原新 (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • 中村博之●撮影 photo by Nakamura Hiroyuki

 40キロ過ぎでそのゲブラセラシエを抜いて3位に上がった藤原は、その勢いのまま2位のスティーブン・キプロティチ(ウガンダ)にも追いつくと、「2位と3位では賞金が200万円も違うと思って必死だった」と笑うように、最後の直線でラスト2.195キロを全選手中最速の6分41秒でカバーして2時間07分48秒の2位でゴール。優勝したマイケル・キビエゴ(ケニア)との差も11秒と、見事な追い上げを見せたのだ。

 4年前の2008年、藤原は2回目のマラソンだったこの東京で、いきなり2時間08分40秒を出して注目された。だがその年の北京五輪は、尾方剛(中国電力)、佐藤敦史(中国電力)、大崎悟史(NTT西日本)がタイムと実績で上位にいたため補欠になり、五輪出場は叶わなかった。

 2010年には練習方針などの食い違いで所属していたJR東日本を退社。健康食品の製造・販売会社と契約してプロランナーになり、5月のオタワマラソンでは2時間09分34秒で初優勝も果たした。

 だが昨年の東京で57位と惨敗した後は夏に右足足底筋膜炎で走れなくなり、さらに契約した会社の経営が苦しくなってきたため10月31日付けで契約解除。どん底に突き落とされた。

「故障して走れなくて給料も入らなかった去年の夏は本当に最悪だった」という藤原は、本格的に練習ができるようになった12月から、レースを練習代わりに使う「川内メソッド」を意識したという。さらに、練習はレース並の高い質で行なうようにしたのだ。

 その成果を確かめるのが今年2月5日の丸亀ハーフマラソンだったが、藤原はそこで自己新を出し「練習の3割増しくらいの結果が出たので、東京も行けると思った」と手応えをつかんだ。その結果が、ロンドン五輪代表を大きくたぐりよせる東京での快走につながったのだ。

「今回はマラソン練習が本当に楽しかったので、(この先)また楽しく練習ができると思います。ただ、五輪は超ハイペースになると思うから、1キロ2分56秒くらいを設定したトレーニングが必要になる」とロンドンへの意気込みを語る。

 残る選考レースは3月5日のびわ湖国際マラソンのみ。恵まれない環境の中で自ら道を切り開いてきた川内と藤原、ふたりのランナーの頑張りに実業団の選手たちがどう刺激を受け、どんな結果につなげようとするかに注目したい。

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