はじめて1年目で日本代表に。パラテコンドー田中光哉の夢は、サッカーの指導者からメダリストへと変わった (3ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by Kyodo News

 もともとサッカーをしていたので、脚力に自信があり、持久力もあったのでピンときた。本格的にテコンドーをやろうと会社をやめ、道場のある横浜に越してきた。師範とコーチに蹴り方から始まり、戦術を徹底して教え込まれた。

「東京パラリンピックに出場するという夢が見えてきたので、人生のすべてを注ぎ込むのに迷いはなかったですね」

 東京パラリンピック出場に向け、最初は75キロの階級での代表を目指した。パラテコンドーの体重は61キロ、75キロ、75キロ超の3つしかない。ただ75キロ以上は、世界を見渡すと体の大きな選手が多く、中には190㎝近い選手もいる。そういう選手と対峙すると、もともと68キロ前後で増量したぐらいでは敵(かな)うことがなく、力の差を見せつけられた。そこで田中は61キロ級を目指すべく、3か月程度で14キロ落とした。

「61キロ級では自分は比較的、身長が高いほうなので世界で戦うには有利でしたし、75キロ級よりも勝てる自信があったんです」

 パラテコンドーは、ボクシングのようにリズムを取り、終始動いて蹴りを出し続けなければならない。「足のボクシングと言われていて、体力的にはハード」と田中が語るように試合は持久力も要求されるが、トレーニングは試合以上にハードだ。

「7月は、午前と午後にインターバルトレーニングを行ないました。今までで一番きつい練習でしたね(苦笑)。おかげで心肺と脚力はかなりパワーアップしました」

 直前の練習だけではない。東京パラリンピックで頂上を目指すために、コロナ禍で1年延期した時間は弱点を補うことに費やしてきた。

「蹴りだと下半身重視のように見えるんですが、重い蹴りを入れるのには体幹と上半身の強さも必要になってきます。相手とクリンチして押し合って蹴る場合もあるので、腕の力で相手を押すというのはこれまでトレーニングしてこなかったんですけど、ウエイトトレーニングでかなり鍛えることができました」

 練習パートナーには、健常者がついた。両腕でガードをしてくるので、隙がない。それでも戦いながら相手のクセや弱点を見極めて、すばやく蹴りを入れていく。障がい者と対戦するよりははるかに難しい相手と戦うことで、東京パラリンピックでは、より厳しく攻めることができる。

「健常者の(攻めるのが)難しい相手と対戦させてもらったので、すごくいい練習ができました」

 そう、充実した表情を見せる。

 田中の得意技は、カットだ。半身で構えた時、前側の脚で相手と距離を取りつつ、前脚で蹴るもので、「ボクシングのジャブみたいなもの」と言う。

「相手に懐に入られると僕は両腕に障がいがありますが、相手が片腕の場合、近い距離で押しながら蹴られると自分の強みを出せないんです。そのため、脚を使ってうまく距離を保つことを意識しています」

 カットの精度を高め、回転蹴りなどで高ポイントをとる。田中が思い描くスタイルは、テコンドー発祥の地である韓国の伝統的な美しいスタイルだ。

「韓国の多くの選手は試合中も姿勢がよく、オーソドックスな戦い方の選手が多いんですが、僕はそういうところにテコンドーの本来の魅力があると思っているので、そのようなカッコいいスタイルで勝ちたいですね」

 田中をサポートする支援者も増えた。

 道場の師範や仲間はもちろん、地元で歩いていると子どもたちに声をかけられる機会も増えた。また、昨年12月に結婚し、奥さんが田中を献身的にサポートしてくれているという。

「すごく助かっていますね。前は練習が終わると疲れてご飯を作れないので、スーパーの総菜を買って食べていたんですけど、今は帰るとちゃんとご飯が出てくる。これはすごくありがたいです。本番に向けて体重のコントロールも必要になってくるんですけど、そこも考えてくれていますし、僕が競技に集中できる環境を作ってくれています。合宿から帰ってきた時の豚汁とか、ほんと最高です(笑)」

3 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る