2021.08.08

10m先の5円玉の穴の真ん中を撃ち抜く感じ。パラ射撃水田光夏「試合でドキドキしたことがない」

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by Kyodo News

 水田光夏(みずた・みか)は小さい頃からバレエを習い、ダンスが大好きだった。

 だが、中2の春だった。ノートにシャーペンを走らせていると、うまく握れなくて下に落とした。歩いたり、座っていたりすると突然、膝がガクガクと動いた。

「あれ、おかしいな」

 最初はそのくらいにしか思っていなかったが、徐々にシャーペンを落とす回数が増え、脚の違和感が大きくなり、うまく踊れなくなった。

 異変を感じて病院に行くと難病のシャルコー・マリー・トゥース病と診断された。末端神経の異常によって四肢の感覚や筋力が低下していく進行性の病気だった。

「病名を聞いた時は、へぇーそうなんだって感じで、そんなにショックを受けた感じではなかったです」

パラリンピックの目標は「自己ベストを更新すること」という水田光夏パラリンピックの目標は「自己ベストを更新すること」という水田光夏

 手足の感覚がなくなり、動かなくなると医者に告げられたら普通はショックを受けて、気持ちも塞ぎがちになるだろう。実際、病気が進行し、秋には車いすの生活になった。それでも水田はポジティブな気持ちを失わず、普通に学校に通い、楽しく時間を過ごした。

「ただ、小さい頃から続けてきたバレエやダンスができないよって言われた時は病気になったと言われた時よりもショックでした」

 射撃に出会ったのは、高2の時だった。

 将来を考え、何か新しいことを始めたいと思っていた。あるキッカケでパラ射撃で04年アテネ五輪から3大会連続で出場した田口亜希さんの話を伺う機会があった。興味を持ち、ビームライフルの体験会に行くと周囲が驚くぐらい真ん中に当たった。「すごいね」「センスあるね」と褒められ、本人曰く「気分がよくなって」、習い事感覚で始めた。18歳になり、銃の所持許可を取り、ライフル射撃になっても好きな時に月1、2回撃つだけだった。だが、やはりセンスがあったのだ。初めて出場した2017年全日本ライフル射撃選手権で2位になった。

「1位の選手はリオ五輪まで3大会連続で出場した瀬賀(亜希子)選手で、僅差で2位だったんです。ビックリしましたし、自信にもなりました。そこからですね、本格的に(競技として)射撃をやろう。パラリンピックを目指そうと思ったのは」

 そのわずか2年後、水田は2019年の世界選手権で東京パラリンピックの出場権を獲得。10mエアライフル伏射(SH2クラス)でパラ射撃内定選手第1号になったのである。