ノルディックスキー新田佳浩。8年ぶりパラ金メダルまでの過酷な日々 (4ページ目)

  • 星野恭子●取材・文 text by Hoshino Kyoko
  • photo by Sho Tamura/AFLO SPORT

 激走を終えたその夜、平昌オリンピックパーク内で行なわれた表彰式で、『君が代』が厳かに流れるなか、センターポールをゆっくりと上がっていく日の丸を新田は静かに見つめていた。

「ようやくですね。ずっと(この光景を)思い描いて4年間、過ごしてきた。がんばってきて、よかったです」

 新田が競技に打ち込んだ最初のモチベーションは、自身の左腕のことをずっと気にかけてくれた「祖父のため」だった。10年に金メダルを獲得し、12年に祖父が亡くなって以降は「2人の息子に頑張る姿を見せるため」に変化した。また、「家族、スタッフ、会社......。支えてくださる皆さんに、がんばることで恩返ししたい」と周囲への感謝も忘れない。

 だが、今年1月のある日、新田は珍しく、「平昌は自分のために走りたい。(37歳という)自分の年齢でどこまで高められるか確かめたい」と話していた。

 そこでレース後、「自分のために走れたかどうか」を尋ねると、新田は達成感あふれる笑顔とともに、「はい!」と力強い返事を返してくれた。

 金メダルは紛れもなく、自身を世界一にまで高めた証(あかし)である。

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