義足の女子ジャンパー前川楓が「あの名選手」の助言で掴んだ銀メダル (3ページ目)

  • 星野恭子●取材・文 text by Hoshino Kyoko
  • photo by Kyodo News

* * *

 1998年に三重県津市で生まれた前川は、バスケットボールに夢中だった中学3年の夏、交通事故に遭い、右脚を膝上で切断。病院のベッドで泣き続けた。

「どうして、私が......」

 数回の手術を経て、つらいリハビリをくり返した。松葉杖で歩けるようになるまで2カ月ほどかかり、その半年後に義足をつけたときもスムーズに歩けるまで苦労した。

 だが、その後、スポーツ用義足と出会って陸上競技を始めると、持ち前の運動センスと負けん気で徐々に頭角を現す。2015年には初めて日本代表となり、世界選手権ドーハ大会に出場。100mで7位入賞を果たした。さらに記録を伸ばし、リオパラリンピックの舞台では走り幅跳びで4位に加え、100mでも7位に入賞。

 最初はうれしかったが、次第に悔しさが募る。100mも走り幅跳びも、「自己ベストを出しても世界と戦えないのか。このままじゃ、ダメだ」

 突きつけられた現実に、前川は覚悟を決める。勉強は後からでもできると、通っていた大学を退学し、競技中心の生活へと舵を切る。リオ以降は、よりメダルに近いと思われる走り幅跳びをメイン種目に据えた。だが、元々陸上経験もなく、専門のコーチもいないなか、素質だけに頼り、手探りでの練習では限界があった。

3 / 5

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る