ウィルチェアーラグビー・三阪洋行「僕の人生を変えたNZ留学」 (5ページ目)

  • 文●スポルティーバ text by Sportiva
  • 写真●五十嵐和博 photo by Igarashi Kazuhiro

伊藤 そこから何か吹っ切れましたか?

三阪 はい。語学学校とかでもやっぱりしゃべらないと相手してくれなかったですけど、ジェスチャーでもいいから、しつこいぐらいしゃべるようにしました。練習でも、分からんかったら「もう1回やってほしい」と言ったり、練習が終わった後に、「実はこういうのが苦手だからこういう練習もやってくれへんか」と言ってコミュニケーションを取るようにしました。そうするとどんどん伝わって、「今日はヒロがこの練習をしたいと言っているから、ここにフォーカスを当てよう」と言ってくれたり。

伊藤 大きな変化ですね。

三阪 そこからすごく楽しくなりました。努力をしているからこそ前に出る勇気があったというか。英語をとにかく勉強しようと思って、1日10時間ぐらいやることもありました。選手と積極的に練習以外の場でも会ったりしました。

伊藤 なるほど。自分から飛び込んでいくっていうことで、コミュニケーションが取れるようになったというですね。

三阪 そうですね。だから、本当に自分から動き出さないと何も変わらないというのを肌で感じました。

伊藤 では残りの3カ月は。

三阪 伸びしろしかなかったですね。

(つづく)

【プロフィール】
三阪洋行(みさか ひろゆき)・写真右
1981年6月21日生まれ。大阪府出身。ウィルチェアーラグビー元日本代表。現在は千葉のBLASTというチームに所属しプレイする一方、代表ではアシスタントコーチを務めている。パラリンピックは、2004年アテネ、2008年北京、2012年のロンドンと3大会に出場。中学生で健常のラグビーを始めたが、高校3年生の時、練習中の事故から頸椎を損傷し、車いすの生活となった。その後、ウィルチェアーラグビーと出会い、ニュージーランド留学を経て、日本代表入りを果たしている。

伊藤数子(いとう かずこ)・写真左
新潟県出身。NPO法人STANDの代表理事。2020年に向けて始動した「東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」では顧問を務めている。2003年、電動車椅子サッカーのインターネット中継を企画、実施。それをきっかけにしてパラスポーツと深く関わるようになった。現在、パラスポーツの競技大会のインターネット中継はもちろん、パラスポーツの楽しみ方や、魅力を伝えるウェブサイト「挑戦者たち」でも編集長として自らの考えや、選手たちの思いを発信している。また、スポーツイベントや体験会を行なうなど、精力的に活動の場を広げ、2012年には「ようこそ、障害者スポーツへ」(廣済堂出版)」を出版した。

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