サッカーから車椅子バスケへ。京谷和幸がつないだ「代表の誇り」 (4ページ目)

  • 文●スポルティーバ text by Sportiva
  • 写真●五十嵐和博 photo by Igarashi Kazuhiro

伊藤 車椅子バスケを引退して、指導者としサッカー界に戻りたいと?

京谷 ところが、いろんなところに講演に行くと、「次のパラリンピック目指して頑張ってください」とかって言われるわけです。一番グラついたのが、ある学習塾の講演会の最後に、日の丸に寄せ書きで「Go To London」って書かれていたときです。それを渡されて、これを掲げてあげなきゃいけないって思ったんです。日本代表の国旗を見せられて、「やっぱ日本代表だよな」って。それまでは8対2ぐらいで“引退してサッカー指導者”だったんですけど、6がサッカーで4がバスケぐらいまで戻っちゃって。

伊藤 ロンドンパラを目指そうと思うまでに、そのあとはどんなことがあったんですか?

京谷 その年末に、僕がJリーガー時代に所属していたジェフユナイテッド市原・千葉の集まりがあって、南アフリカワールドカップでゴールキーパーコーチをしていた加藤好男さんにお会いしたんです。JSLの古河とジェフ千葉で僕の先輩だったんですけど、その方に「サッカーの指導者なんていつでもできるだろう。お前が現役を続けることが一番の社会貢献になるんだぞ」と言われて、車椅子バスケ界にも障がい者スポーツ界にも、「俺、何もしてねえな」と思ったんです。

伊藤 6対4だった時にそう声をかけられて。

京谷 そう言われた時に「ああ、俺はやらなきゃいけないんだ」と。「何を俺勘違いしてたんだ」と思って、その時に、「あ、やろう。もう一回目指してみよう」って。ただ、代表になれる保証はないんですよ。だから、その時が一番葛藤したというか。加藤さんの言葉を聞いたその夜に、妻に話をして「もう一回やろうと思うんだけど」って言ったら、妻が「そう言うと思ってた」って。分かっていたわけです。

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