「100人中100人が変わった人」と感じる山崎賢人 「大学バレー→競輪ファン→競輪選手→世界一」の特殊な道のり (3ページ目)
「迫力がすごかったです。車輪の音もそうですし、スピード感もすごかった。圧倒されましたね」
一気にファンとなった山崎は何度も競輪場に足を運ぶようになった。そのなかで特に心を掴まれたのが、深谷知広(静岡・96期)の走り。勇猛果敢に先行する姿に魅了され、車券を握りしめて応援するようになった。山崎はその時、大学3年生。その先の人生に迷い始めていた時期だった。
「バレーボールをやっていても、大学からその先があるわけではなくて、自分がどんな企業に行きたいかもわからなかったし、サラリーマンになる姿もまったく想像できなかったんです。そんな時に深谷さんが先行して金子(貴志/愛知・75期)さんが優勝したKEIRINグランプリを本場(立川競輪場)で見て、もう感動しちゃって......。ここで走りたいなという気持ちが芽生えました」
いちファンから選手へ。異例ともいえる心境の変化だった。自転車はもともと好きで、中学生の時には学校がひと山超えるほどの遠距離だったこともあり、自転車に乗って毎朝タイムアタックをして通学していた。さらに大学時代には東京都内や近郊は基本的に自転車移動。もちろん競輪場にも自転車で行っていた。
「競輪が向いているかどうかはわかりませんでしたが、体力的にはどれだけ走っても持つ感じだったので、生かせるかもしれないと思いました。自分の体力を生かした仕事をしたいなと思っていた時だったので、すべてがマッチした感じですね」
当然、選手になる方法がわからなかったため、自分の故郷・長崎にある佐世保競輪場に電話して、実際に競輪選手に話を聞き、大学卒業後から練習を始めることを決断。そして卒業後、「これ(競輪用自転車)どう乗ればいいんだ?」というほど、ずぶの素人からのスタートだったが、そこから数か月間の練習を経て、1回で競輪学校(現日本競輪選手養成所)の試験に合格した。
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