「100人中100人が変わった人」と感じる山崎賢人 「大学バレー→競輪ファン→競輪選手→世界一」の特殊な道のり (2ページ目)
ただ、そんな不安は杞憂だ。山崎は今ますます注目されつつある。2025年12月に約6年間在籍したナショナルチームを引退し、今年1月から競輪に専念。2月のGⅠ「全日本選抜競輪」こそ目立った成績は残せなかったものの、最終日は圧倒的な強さで1着入線。3月のGⅡ「ウィナーズカップ」では決勝まで勝ち上がり5着と存在感を示した。
そして5月1日から始まるGⅠ「第80回日本選手権競輪」での上位進出にも期待がかかる。
今後、競輪界を代表する選手になりえるほどの実力を有し、かつ独特の感性を持つ山崎。その経歴や競輪選手を目指したきっかけもまた異色のものだった。
親しみのある笑顔で誠実に受け答えをする山崎 photo by Manabu Takahashiこの記事に関連する写真を見る
【いちファンから競輪選手へ】
山崎は中学からバレーボールを始め、大学4年まで本格的に取り組んでいた。高校時代はアタッカーで、最高成績は県ベスト8。まずまずの結果だが、全国レベルと言えるような部活動ではなかった。それでも「バレーボールが好きだった」という山崎は、大学でもバレーボール部に所属した。ただ「175cmくらいだと大学では低いほうになってしまったので、必然的にリベロになった」とポジションチェンジを余儀なくされた。
この転向にも前向きに取り組み、レギュラーになるために積極的に居残り練習も行なっていた。しかしその座は遠く、コート外からチームメイトの試合を眺める日々。時には「レギュラーでもないのに、何してるんだろう」と思うこともあった。
それでも自暴自棄になることはなく一心不乱に努力を続けられたのは、自分への厳しさだった。
「自分で4年間やると決めたので、できるところまでやってみようという気持ちでした。僕は自分が決めたことをやらないと気が済まない性格で、我が強いかもしれないです」
ただただバレーボールに打ち込む毎日だったが、そんな時、先輩に連れられて行ったのが競輪場だった。そこで衝撃を受けることになる。
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