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【平成の名力士列伝:栃乃和歌】無骨なまでの正攻法相撲で上位勢とわたり合った平成前期の学生相撲出身力士 (2ページ目)

  • 十枝慶二●取材・文 text by Toeda Keiji

【小錦戦初勝利で存在感を確立】

 そんな指導を受けた栃乃和歌は少しずつ力をつけ、番付を上げていった。昭和61(1986)年9月場所、新十両を機に、春日野部屋伝統の「栃」に故郷の和歌山県から「和歌」を取った「栃乃和歌」と改名。昭和62(1987)年1月場所で新入幕を果たすと、同年3月には10勝5敗で敢闘賞に輝き、幕内上位へと進出した。

 相撲ファンに衝撃を与えたのが、新小結の昭和62(1987)年7月場所2日目、新大関・小錦に挑んだ一番だ。

 小錦は239キロとケタ外れの巨体を武器にした圧倒的な押し相撲で土俵を席巻していた。一方の栃乃和歌は幕内4場所目の新鋭。190センチ、140キロのがっしりとした体つきとはいえ、小錦より約100キロも軽い。過去2度の対戦では一方的に敗れている。しかし、鋭く踏み込んで強烈な突き押しを受け止めてモロ差しになると、体を密着させてグイグイ前進し、そのまま寄り切った。入門以来の封印してきた四つ相撲での快勝だ。突き押しに徹し、基礎を鍛えてきた日々の稽古で、持ち味である四つ相撲の威力が、小錦の巨体も圧倒するほどまでに増していたのだ。それは、「学生出身」という肩書など関係なく、魅力的な相撲を取るひとりの力士として、全国の相撲ファンが栃乃和歌を認識した瞬間でもあった。

 栃乃和歌はこの場所、5日目には前場所全勝優勝の大関・大乃国にも初黒星をつけるなど9勝して初の殊勲賞を獲得し、翌場所は新関脇に昇進。時代が平成に変わってからも幕内上位に定着し、しばしば横綱・大関を倒して大関候補に名乗りを上げた。

 平成4(1992)年3月場所は千秋楽まで首位タイを並走し、優勝まであと一歩に迫りもした。残念ながらケガもあって大関昇進はならず、やがて三役からも遠ざかったが、長く幕内を務めた。後輩たちが次々と入門して幕内に昇進し、一大勢力となった学生相撲出身力士の長老的な存在ともなった。

 平成11(1999)年7月場所、14年間の土俵生活に別れを告げて年寄竹縄を襲名。春日野部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたったあと、平成15(2003)年に元横綱・栃ノ海の先代の後を継いで春日野部屋を継承した。大関・栃ノ心などを育てる一方、平成28(2016)年には日本相撲協会の理事に就任し、広報部長、巡業部長、事業部長などの要職を務め、協会運営にも尽力している。

【Profile】栃乃和歌清隆(とちのわか・きよたか)/昭和37(1962)年5月22日生まれ、和歌山県海南市出身/本名:綛田清隆/所属:春日野部屋/しこ名履歴:綛田→栃乃和歌/初土俵:昭和60(1985)年3月場所/引退場所:平成11(1999)年7月場所/最高位:関脇

著者プロフィール

  • 十枝慶二

    十枝慶二 (とえだ・けいじ)

    1966(昭和41)年生まれ、東京都出身。京都大学時代は相撲部に所属し、全国国公立大学対抗相撲大会個人戦で2連覇を果たす 。卒業後はベースボール・マガジン社に勤務し「月刊相撲」「月刊VANVAN相撲界」を編集。両誌の編集長も務め、約7年間勤務後に退社。教育関連企業での7年間の勤務を経て、フリーに。「月刊相撲」で、連載「相撲観戦がもっと楽しくなる 技の世界」、連載「アマ翔る!」(アマチュア相撲訪問記)などを執筆。著書に『だれかに話したくなる相撲のはなし』(海竜社)。

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