藤澤五月の社会人デビュー。定時まで働いて練習へ「好物の明太釜玉うどんを食べて、スイッチを入れた」

  • 竹田聡一郎●取材・構成 text by Takeda Soichiro
  • 藤巻 剛●撮影 photo by Fujimaki Goh

連載『藤澤五月のスキップライフ』
8投目:社会人として大きく成長できた日々

ロコ・ソラーレ藤澤五月の半生、"思考"に迫る連載『スキップライフ』。今回は今から13年前の2010年、中部電力に入社後の、仕事とカーリングの日々について振り返る――。

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 中部電力さんにお世話になることになって、生活の拠点を佐久や軽井沢に移してよかったことはたくさんあります。カーリングの技術は向上しましたし、日本選手権でも4連覇することができ、そして日本代表としても世界に挑戦させてもらえました。カーリング選手として大きく成長できた6シーズンだったと思えます。

 同時に社会人としても、多くの経験をさせてもらいました。最初に「藤澤さんと一緒にオリンピックを目指したい」という電話をいただいた時から、「仕事はちゃんとしてもらいます」という話もされていたので、入社してすぐに約50人の同期と名古屋の本社に行って、2週間ほどの新入社員研修を受けました。

 私は小さい頃からカーリングばかりやっていて、アルバイトの経験もありませんでした。そのため、社会性はかなり乏しい人間だと思っていたので、この研修は本当にありがたかったです。

 スーツを着た時の身だしなみや、仕事の時のお化粧の仕方、電話対応の基礎や、名刺交換のやり方などなど、それこそ社会人としてのベースとなる部分をすべて教わりました。あの時に教わったことは、今でも生きています。

【LINEグループ『さつき会』で今でも交流】

 新入社員研修が終わると、仕事とカーリングの毎日が始まります。

 出社時間は朝8時30分でしたが、新入社員の私は早めに行って、机を拭いたり、簡単な掃除をしたりしていました。

 私の仕事は、主に料金課の検針担当でした。検針員さんが各家庭や会社を回って検針してくれたデータをチェックして、金額を確定させる仕事です。一度だけ、寝坊で遅刻した時はかなり落ち込みましたが、それ以外は毎日、頑張って仕事をしていたと思います。

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