小平奈緒とともに18年間歩んできた結城匡啓コーチ。最後に見せた最高のレースに「出会えて本当にありがとう」 (2ページ目)
ケガから万全の状態へ
たった1本のレース。37秒49のためだけにきつい夏場の練習に集中する小平の姿勢は、海外も含めた多くの選手が感嘆するものだった。彼女のここまでの歩みを結城コーチはこう振り返った。
「35歳で迎える北京五輪への道のりのなかで、一番気を遣ったのはケガでした。パフォーマンスの衰えや、体力的なもの、技術的なもの、気持ちの部分の衰えは感じていなかったですが、ケガをするとリカバリーに時間がかかるというのは年齢的には逆らえないところ。それをずっと4年間考えて過ごして、最後の1カ月に入ったところでケガをしてしまいました。
実際、捻挫自体はそんなに大きなものではなかったのですが、右足首は大学3年とオランダの2年目でも捻挫をしていて、加えて命綱となっていた2本の靱帯が切れたという状態で北京五輪を迎えることになってしまいました。それを考えると、(ケガをする前の)去年のこの時期よりパフォーマンスがいいということはとんでもないこと。
(北京五輪後)最初の3カ月間で機能的に問題がないところまで回復させましたが、それは本人の努力によるもの。そればかりは周りがどんなにサポートしても無理なので、彼女は足首のケガに関係がある股関節の使い方を自分なりに工夫をしてやったことが、今回のパフォーマンスの要因だと見ています。だから奇跡という言い方はおかしいですけど、ここで何事もなかったようにあのパフォーマンスを見せた本人の努力は、『すばらしいな』と思っていました」
それは、小平が長年積み上げてきたからこそ実現できた、精神面での進化だったと言えるだろう。その進化を続ける姿は、技術面でも見せていた。
「(今回)10月に入ってからは、今まではやったことがなかった500m1本に絞る練習を始めましたが、そうしたらどんどんキレが出てきました。スケートは氷の上でパワーを発揮する技術が大きなウエイトを占める種目ですが、その意味では決して年齢とかそういうことだけではないというのを、36歳まで証明してくれたなという印象を受けました。それとともに、アスリートの枠を超えてというか、人間としてのすごさが......。『やると決めたら』、という覚悟であったり、決意というところは本当にすばらしいなと思いました」(結城コーチ)
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