オリンピック公式映画はどうあるべきか。『東京オリンピック2017 都営霞ヶ丘アパート』の青山真也監督が語る意義と問題点

  • 小崎仁久●取材・構成 text by Kosaki Yoshihisa
  • photo by Kyodo News

「After TOKYO」
オリンピックを考える(3)

(連載2:「経費のコスト超過率」は平均のはるか上も、詳細は闇の中。「レガシー」の継承は果たされずに終わった>>)

 昨夏に開催された東京五輪で、日本選手団は史上最多の金メダル27個、総数58個のメダルを獲得。競技面が盛り上がった一方で、開催に関しては多くの課題も見えた大会となった。あらためてオリンピックの在り方を検証する連載の第3回は、東京五輪によって住民が立ち退くことになった「都営霞ヶ丘アパート」のドキュメンタリー映画を撮った青山真也監督のコメントと共に、「オリンピック公式映画」のあり方について考える。

2016年9月、解体が進む都営霞ヶ丘アパート2016年9月、解体が進む都営霞ヶ丘アパートこの記事に関連する写真を見る***

製作を義務づけられている公式記録映画

 国際オリンピック委員会(IOC)と東京都、日本オリンピック委員会(JOC)が結んだ「開催都市契約書」の第56条「オリンピック大会公式映画」には、「OCOG(組織委員会)は、本大会の公式映画が、IOCの満足のいくように製作・利用され、IOCの最終承認を受けられるものであることを確保する責任を負う」と記されている。つまり、IOCはオリンピック開催に際し、公式記録映画の製作を義務づけているということだ。

 IOCの公式サイトのビデオアーカイブスでは、1912年ストックホルム五輪から映像を見ることができるが、公式記録映画の製作が義務づけられたのは1930年以降。そのなかには、オリンピック映画という枠組みを超え、「傑作」と呼ばれる作品も生まれている。

 レニ・リーフェンシュタール監督が撮った1936年ベルリン五輪の『オリンピア』は、ナチスの全面的なバックアップを受けたことで後年には大きな批判を浴びたが、当時の最先端の撮影技術を駆使して、アスリートの肉体の強靭さと美しさを描いた。

 市川崑監督の1964年『東京オリンピック』は、オリンピックをモチーフとしたドラマを撮った。同作品は綿密な脚本、芸術性が高く評価され、カンヌ国際映画祭批評家賞などさまざまな賞を受賞。観客動員数はいまだに日本映画の上位に位置し、興行的にも大成功を収めている。一方で、従来の「記録映画」とは一線を画す作品となったことにより、「公式記録映画は記録か、芸術か」という論争を巻き起こした。

 東京2020大会の公式記録映画は、河瀬直美監督の『東京2020オリンピック SIDE:A/SIDE:B』。内容についてはのちに紹介するが、大々的な宣伝がされず、劇場上映が約1カ月と短かったこともあり、興行面では苦しい結果となった。

 リーフェンシュタール監督や市川監督の時代とは、オリンピックにおける公式映画の重要度が変わっているのは確かだろう。テレビに加えてウェブサイトやSNSも出現し、競技の結果のみならず、映像さえも時間差なく世界の隅々まで流れる時代になった。

 東京五輪の公式配信映像を製作した、IOC傘下の民間企業であるオリンピック放送機構(OBS)は、過去最高の中継体制を敷いた。1000台以上のカメラを投入し、ボールや選手を追いかける3Dトラッキングシステムや人工知能も利用して9500時間超の映像を撮っている。全競技、全選手のプレーがHD、4K映像で残されたが、それでも公式映画がオリンピックの「記録」として残すべきものはあるはずだ。

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