2021.12.30

白鵬が朝青龍の突然の引退にショック。ひとり横綱として心に決めたこと

  • 武田葉月●取材・構成 text by Takeda Hazuki
  • photo by Kyodo News

 そして、2004年6月に行なわれた上海巡業では、夏場所(5月場所)で新入幕を果たしたばかりの私が優勝。巡業とはいえ、こうした一つひとつの出来事が自信になっていきましたね。19歳の一年間は、すべてが楽しかったなぁ。

 忘れられないのが、この年の九州場所です。この時の私の番付は前頭筆頭。10日目は、大関・魁皇関との2度目の対戦でした。

 モンゴルでは、幕内力士の相撲はテレビでリアルタイムで見られるのですが、力強い相撲を取る魁皇関はとても人気のある力士でした。父も私もファンで、その魁皇関に寄り倒しで勝ったことは、信じられなかったです。

 そして、翌11日目は、横綱・朝青龍戦。ひとり横綱として、相撲界を引っ張る実力者、朝青龍関に「勝ってしまった!?」。

 ものすごくうれしい反面、そのうれしさを顔に出すこともできないし、なんだか申し訳ないような気持ちになりましたが、私の記憶に残る一番ですね。

 大関に昇進したのは、2006年夏場所(5月場所)です。新大関で迎えたこの場所は、雅山関(現・二子山親方)との優勝決定戦となりました。

 本割では負けているので、「同じ負け方を二度としないように」という父のアドバイスを胸に秘め、決定戦を制した私は初優勝。当日、モンゴルから国技館に駆けつけた父は、師匠と抱き合って泣いていたと聞きました。

 この優勝を受け、私の「綱取り」が取り沙汰されるようになりました。この頃の私の夢は、「父のような強い横綱になりたい」というもの。一段と士気が高まっていました。

 ところが、ヒザを負傷したり、11月の九州場所前には左足の親指を骨折して初の休場を経験したり......。私にとって、初めての試練だったと思います。

 相撲とは何か? と向き合うなかで、「まだ、横綱になるのは早いよ」と、相撲の神様がおっしゃったのでしょう。

 負傷が癒えた2007年夏場所は、綱取りの場所となりました。以前のような、焦りはなく、体が勝手に動いてくれるようなイメージで戦えた15日間。私は全勝優勝を果たし、横綱昇進が決まりました。