フェンシング太田雄貴、北京五輪銀メダルの裏にあった「背水の陣」
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PLAYBACK! オリンピック名勝負―――蘇る記憶 第22回
いよいよ今年7月に開幕する東京オリンピック。スポーツファンの興奮と感動を生み出す祭典が待ち遠しい。この連載では、テレビにかじりついて応援した、あの時の名シーン、名勝負を振り返ります。
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2008年北京五輪は、日本フェンシング界の歴史に大きな足跡を記す大会になった。男子フルーレ個人で、太田雄貴が銀メダル獲得という快挙を達成したのだ。
北京五輪フェンシング男子フルーレ個人で、銀メダルを獲得した太田雄貴 太田は、高校2年生だった02年に全日本選手権を制して史上最年少優勝記録を更新。18歳の04年にはアテネ五輪に出場して、ベスト16に進出し9位になると、翌05年には世界ジュニアで3位を獲得した。06年アジア大会では、準決勝で前年世界選手権2位の張亮亮(中国)を破る大金星を挙げて優勝を果たし、前年は25位だった世界ランキングを一気に7位まで上げる急成長を見せていた。
03年からヘッドコーチに就任したウクライナ人のオレグ・マチェイチュクの指導により、チーム力が上がった日本男子チームは、北京五輪シーズンでは団体でも世界ランキングを5位に上げる勢いを見せていた。だが、五輪のフェンシング競技は、男女各6種目(フルーレ、エペ、サーブルのそれぞれ団体/個人)のうち実施されるのはそれぞれ5種目。北京五輪では、男子フルーレと女子エペで団体競技が行なわれず、個人戦のみと無念な状況だった。
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