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浅田真央「伝説のトリプルアクセル」を
見た記者の体はブルブル震えた (3ページ目)

 残る2個のメダルを日本にもたらしたフィギュアスケートでも、苦難を乗り越えた選手たちが輝きを放った。

 そのひとりは、女子で銀メダルを獲得した浅田真央だ。

 ジュニアでの輝かしい実績を引っさげてシニアに上がり、15歳で2005年12月のグランプリファイナルを制した"天才"は、その愛らしいキャラクターも相まって、女子スケート界のシンボル的存在となっていた。

 年齢の規定で2006年のトリノ五輪には出場できなかったが、シニアでも圧倒的なスケーティングを披露する姿に、誰もがバンクーバー五輪で荒川静香に続く金メダルを獲ることを信じていたはずだ。

 しかし、2007年のルール改定で厳格になったエッジ判定が浅田を苦しめることになる。特に、アウトサイドエッジで踏み切るルッツジャンプを、インサイドエッジから踏み切ってしまうクセを直すことに難儀した。ジュニアの頃からさまざまなジャンプを感覚で跳べてしまったことで、浅田はルッツを曖昧に覚えてしまったのだろう。

 なかなか修正は進まず、徐々に浅田のジャンプに迷いが生じるようになる。ジャンプ以外の要素で高い得点を出すことはできていたが、2009年3月の世界選手権では4位と、シニア参戦後に初めて表彰台を逃した。

 そのときのフリーでは、最大の武器であった2度のトリプルアクセルをどちらも完璧に決めることができなかった。トリプルアクセルは、成功すれば得点が高いジャンプである反面、難易度が高く失敗することも多い"諸刃の剣"。しかし浅田は、トリプルアクセルを減らさず、逆に新たにショートプログラム(SP)にも1本入れる構成で、五輪を控えた翌シーズンに臨むことになる。

 そこには、トリプルアクセルというジャンプ自体へのこだわりと、ジュニア時代からのライバルである韓国の金妍兒(キム・ヨナ)に「五輪で勝つ」という決意が表れていた。

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