トレイルランナー鏑木毅、50歳の挑戦に松田丈志はなぜ共鳴したのか (5ページ目)

  • 松田丈志●文 text by Matsuda Takeshi

 自分の挑戦を自分のものとだけ考えていても踏ん張りはきかない。そこに社会的な意義を感じられることで、その挑戦のやり甲斐に繋がっていく。鏑木さんは50歳の自分が、押し寄せる老化の波に徹底的に抗い、モンブランの山道を駆け抜けることによって、世の中に今回の挑戦の意義を発信していきたいという。

 これまで鏑木さんのUTMB挑戦と私の経験を重ね合わせて考えてきたが、決定的に違うことがある。それは年齢だ。

 私は32歳ですでに競泳選手としての衰えを感じ、引退を決意した。4年後、母国開催である東京五輪が控えていたが、迷いなく引退を決意した。

 東京五輪までやれる可能性はゼロだとは思わなかったが、それをやるには、もう仙人にでもなって、徹底的に節制し、すべてを競泳に捧げて、やっと出られるか出られないかくらいだろうな、と感じた。

 だからこそ、50歳を目前にしてなお、鏑木選手が自分自身を追い込み挑戦していく姿には感動する。

 そこにはトレイルランニングと競泳の競技性の違いもあるだろう。鏑木選手も100マイル(160km)を超えるレースは、最後はメンタルだと言っていた。レース中あまりの苦しさに、鏑木選手より若い選手や、鏑木選手より前を走るトップ選手が、レース途中で走るのをやめてしまうこともよくあるという。100kmを超えるレースで、どこも痛みなくゴールできることなんてなく、死ぬほど苦しい時に"走り続けるかやめるか"の決断はメンタルでしかない。鏑木さんは、2019年UTMBで足が折れてでもゴールしたいと語っていた。

 さらには、鏑木選手と私ではキャリアの違いからくる、年齢とモチベーションの高さの曲線も違うのだろうなと思った。私はどちらかといえば、若い時からアスリートとしてのキャリアを積んできた方だ。

 一方、鏑木さんはトップアスリートとしてのキャリアを積み重ね始めたのが遅かった分、競技に対するモチベーションが高く保たれているところもあるのだろう。

 これは競泳のトップコーチに、現役時代にトップ選手ではなかった方が多いのと似ているかもしれない。競泳の代表コーチになる方々には、現役時代にオリンピックに行ったことがある方よりも、当時は行きたくても行けず、オリンピックへの思いを強く持ち続けているコーチの方が多いと私は思っている。それは選手であれコーチであれ、「オリンピックに行ってみたい、行きたい」という想いが大事ということだ。

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