2018.01.12

トレイルランナー鏑木毅、50歳の挑戦に
松田丈志はなぜ共鳴したのか

  • 松田丈志●文 text by Matsuda Takeshi

 ロンドン五輪後も金メダルの夢を諦めきれず、現役を続けたが、五輪で2大会連続のメダルを獲得していた200mバタフライは、ロンドン五輪がパフォーマンスのピークで、リオ五輪では代表権すら取れなかった。ロンドン五輪以降、200mバタフライに関しては真剣にやればやるほど、以前の自分とは違い、衰えを感じるようになった。

 それは、長年夢見たこの種目での金メダルへの挑戦が、事実上厳しいということだった。

 200mバタフライでの金メダルへの挑戦は、2016年4月の代表選考会で落選した時点で終わった。今まで喉から手が出るほど欲しかった金メダルだけど、その可能性がなくなった瞬間に自分の価値がなくなるような考え方だけはしたくなかった。

 そんな味気ない人生なんてないだろう、とも思っていた。幸運にも私は800mフリーリレーでオリンピックに行くチャンスはあった。

 私はリオへの挑戦を公言し、競泳選手としてスポンサーもついて活動していた。リオまでの挑戦をやりきりたい。今の自分にできることを最大限やって、スポンサーには結果で恩返ししたい。

 残された道は800mフリーリレーでメダルを獲ることだった。その時、この挑戦の意味を考えた。自分が挑戦する意味が欲しかった。

 まず、日本の五輪代表競泳選手で史上最高齢、32歳で出場する私がメダルを獲ることで自分の周りにいる人や同世代の人、これから続いていく後輩たちに、競泳でも30代でオリンピックを戦えるとポジティブなメッセージを与えられるかもしれないと考えた。

 さらに、共にレースする後輩たちにメダルを獲る喜びを味わってほしいと思った。

 若い選手がメダルを獲るということは、その選手の貴重な経験になるのはもちろん、次の世代にも繋がっていくのではないかと考えたからだ。

 さらには水泳をやっている子供たちに自由形でも世界で勝負できるんだよというところを見せたい。そんな想いも持っていた。そう考えることによって、全盛期を過ぎた自分の挑戦の意義を感じていた。