アイスホッケーの美女GK藤本那菜、
平昌五輪決定に導いた1年前の決意 (2ページ目)
―― 最後の最後のポジション、キーパーが藤本選手に合っていた?
藤本 どうでしょう。ただ、父が常に、「やるならば一番を目指せ!」という考えの人で、独学でキーパーの基本やスキルを勉強して、私に教えてくれたんです。父に教わったことが、私の土台になっています。あとは、キーパーが合っていたというより、普通の人より上手じゃない分、人一倍努力をしようと練習を積み重ねたのが、今の自分を作っているんじゃないかなって。自分自身も、ここまで来るとは思ってなかったですけど(笑)。
―― その後、高校3年で日本代表デビューを果たすも、一時は代表を辞退していましたよね。
藤本 そうですね。若かったというか、歩む道を自分で決めたかったというか......。キーパーはひとつのミスが直接失点につながり、勝敗を左右するほど重要なポジションなので、曖昧な気持ち、中途半端な気持ちでプレーするのは周りの選手に失礼だと思い、代表には入るべきではないなって。
―― では、代表復帰を決めたのは?
藤本 バンクーバー五輪予選のときに一緒にプレーしたチームメイトや監督から、「もう一度、目指してみないか」って声をかけていただき、ソチ五輪予選の半年前の合宿に参加したんです。そうしたら、楽しかったんですね。このチームでプレーできたら楽しいだろうなって思いました。
―― しかし、ソチ五輪でスマイルジャパンは5戦全敗に終わってしまいました。
藤本 独特の雰囲気に飲まれたこともあり、悔しかったですね。ただ、決勝戦後のメダル授与式を会場で見ていたら、「やっぱりメダルが欲しいな」って思ったんです。
―― なるほど。
藤本 「メダルは厳しい」と言われていたスイスが銅メダルを獲り、大会MVPに選ばれたのもスイスのキーパーでした。キーパーが全部抑えれば、チームは負けない......。それを再確認しました。
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