カド番⇒綱取りへ急浮上。豪栄道が全勝優勝を決めた「自分の型」 (2ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by Kyodo News


 大関昇進を決めた際、豪栄道は「やっと自分の相撲をつかめた感じがします。この相撲を貫けば、やっていけると思います」と明かしていた。つかんだ相撲とは、立ち合いで鋭く当たり、右を差し左前まわしを引く速攻だった。理想とするのは、第58代横綱・千代の富士。現役時代のウルフの取り口を何度も映像で見て稽古場で実践した。

 自分の型を手にするまでは、自分の相撲よりも相手の良さを消すことを考えてしまうことが多かった。

 出身地の大阪・寝屋川で小学校2年の時に相撲を始め、5年生でわんぱく相撲の横綱となった。体格は大きくはなかったが、天性の相撲勘で肉体的なハンデを補ってきた。埼玉栄高校へ進学すると才能は一気に開花。高校横綱など11冠ものタイトルを獲得し、境川部屋に入門した。

 一貫して豪栄道を支えてきたのは、猛稽古の積み重ねとセンス抜群の相撲勘だった。ところが、関脇で足踏みしている時には、これがアダとなる。当時のインタビューで、「どうしても相手のことを考えてしまう。『明日はあの力士だから、こうやっていこう』とか、相手に合わせて相撲を取ってしまう」と口にしていた。例えば、右四つ左上手が得意な白鵬に対しては、「いかに右を差させないか」など策を弄するあまり、自らが土俵で主導権を握ることができなかった。

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