1964東京五輪出場選手、チャスラフスカとオシムの共通点 (3ページ目)

  • 五十嵐和博●撮影 photo by Igarashi Kazuhiro

――そういう状況下で、代表監督であったオシムさんはどういう行動をとられたのですか。

木村 オシムが何に苦しんでいたかというと、まさに全民族を束ねていたユーゴ代表監督でありながら、選手の出身によって、それぞれの政治家、ナショナリストたちからいろいろな圧力がかかってきた。ユーゴ代表でプレイすること自体が、民族の裏切り者みたいに言われて、つばを吐きかけられたり、脅迫の電話をもらった選手がいるんです。「監督、やっぱりもうプレイできません、自分はこの民族を選ばないと、家族がどういう目にあわされるか」という選手が当然、出てきます。オシムは毅然として自分はユーゴ人だという信念を持ち続けるわけですけど、辞めていった選手を一切批判しないんですよね。自分はそんなことを言えるほどの偉い人間ではない、と。これは強烈なアイロニーで、偉い人間というのはつまり、民族主義者たちのことを揶揄して言ってるわけです。

 皮肉なことに90年代というのはユーゴスラビアのサッカーが最強だった時代。これはオシムも言っていますが、当時ユーゴリーグというのは最強のヨーロッパリーグだったんです。87年にクロアチア系選手で構成されたユース代表がワールドユースで世界を制し、91年にはセルビアの雄レッドスターがトヨタカップを制しています。家族がそのような状況におかれる中で、オシム率いるユーゴ代表はヨーロッパ選手権の予選を勝ち抜き、スウェーデンで開催されるユーロ92に行く予定だったのですが、「サラエボで起こっていることをみなさんご存知だろう。もう代表監督はできない」という涙の記者会見を行ないます。

長田 チャスラフスカも他人のことはとやかく言わないし、他人の評価はしない。「あの人は変心したけれど自分は変えない、だから自分は素晴らしいんだ」とか、自分は偉いとか立派だという言い方は一切しない。そうではなくて、それぞれの事情があるんだ、と。「日本人は『なぜ意志を変えなかったのか』と盛んに聞きにくるけど、変えた人のほうに理由があるんじゃないか」と言うのです。非常に知的な人だと思います。そういう言い方を私はできるかなと考えると、「ここまで耐えたのだから、私は偉いでしょ」という言い方をついしてしまうんじゃないか。そこは尊敬できるし、彼女のようでありたいなと思います。オシムさんも似たようなところがあって、ちょっと捻ったユーモアのある言い方をするところがあるけど、本心のところは変えない。お腹の中に漬物石が入ってるような人ですよね。

木村 オシムは2011年、ボスニア・ヘルツェゴビナのサッカー協会の正常化委員会委員長に就任して、3つの民族を1つにまとめあげたのですが、誇らしげに語ることはなかったですね。「なぜその仕事を引き受けようと思ったのか」と聞くと、「こんな寓話があるよ」と言うんです。橋から落ちて溺れている子を見て飛び込んで助けた男がいた。新聞記者がたくさん来た。「英雄になって、これから何がしたいですか」と聞かれたら、「俺を橋から突き落としたやつを探したい」と。つまり、俺は橋から突き落とされただけなんだというわけです。

 こういう言い回しというのは、東欧の、ドイツとロシアにはさまれた小国の知性ですね。照れなのか、美徳なのか分らないけれども、アイロニカルなことを言って笑いに転化させて昇華させていく。研究者などに聞いても、東欧は過酷な歴史を抱えているので、根底にユーモアがないとやっていけないのでしょう。もっと言うと、オシムの言葉はもちろん含蓄が深いのですが、それがなぜ人の心を打つのかというと、その言葉を実際に体現して生き抜いてきたところにあると思います。

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長田渚左 ノンフィクション作家。桐朋学園大学演劇専攻科卒。著書に『復活の力 絶望を栄光にかえたアスリート』『北島康介プロジェクト2008』『こんな凄い奴がいた』など。NPO法人「スポーツネットワークジャパン」理事長。スポーツ総合誌『スポーツゴジラ』編集長。日本スポーツ学会代表理事。淑徳大学客員教授。

木村元彦 ノンフィクション・ライター、ビデオジャーナリスト。中央大学文学部卒。著書に『誇り ドラガン・ストイコビッチの軌跡』『オシムの言葉 』(ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞)『蹴る群れ』『社長・溝畑宏の天国と地獄』『争うは本意ならねど』など。



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