葛西紀明のソチ五輪。「2つの銀メダルよりひとつの銅メダル」

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi 能登 直●撮影 photo by Noto Sunao/JMPA

 ソチ五輪2月15日のスキージャンプ男子ラージヒルで、葛西紀明は41歳8カ月にして銀メダルを獲得。「涙は出ませんでした。それは金メダルを獲った時にとっておきます」と明るく答えていた。

 だが17日の団体戦では、葛西は銅メダル獲得後、ボロボロ涙を流した。

スキージャンプ団体ラージヒルで銅メダルを獲得した日本。左から清水、竹内、伊東、葛西スキージャンプ団体ラージヒルで銅メダルを獲得した日本。左から清水、竹内、伊東、葛西 その涙のワケは、ソチ五輪でのチーム状態にあった。

 葛西自身はシーズン開幕からW杯でひと桁順位を連続して、1月にはW杯史上最高年齢優勝を果たすなど好調をキープしていた。一方、竹内拓や伊東大貴は、開幕直後こそ表彰台へ上がっていたが、年が明けると調子を落としてしまっていた。

 とくに竹内は、喘息の症状がひどくなり1月6日のビショフスホーフェン大会(オーストリア)は棄権。シャワーを浴びて髪を洗っていても、疲労感で腕をあげていられなくなるほどだった。帰国して医師の診断を受けた竹内は、難病指定になっている血管の病気、"チャーグストラウス症候群"の可能性が80%と診断された。

 治療のために強いステロイド剤を投薬したが、それは筋肉量を落としてしまう薬でもあった。一時は「五輪をあきらめなければいけないのか」と思ったという。それでも竹内は、病室に器具を運び込んでトレーニングを続け、ソチ五輪出場にこぎ着けたのだ。

 伊東は、五輪前のW杯ヴィリンゲン大会(ドイツ)で痛めた左膝の状態が最悪だった。団体戦でも2本目は着地した途端に痛みが走るほど、ギリギリの状態だった。認定ラインを超えるまでは立っていなければと、必死にこらえた。

 それを知っていた葛西はこう語る。

「1本目を飛んだ時も、拓や大貴の気持ちを考えると涙が出てきて......。それに(清水)礼留飛が人一倍練習していることも知っていたし......。ソチ五輪の代表に選ばれるかどうかという時に、彼が僕に電話をしてきて、追い込まれていた様子だったので、『大丈夫だ』と元気づけたこともあった。

 メンバーを外れた(渡瀬)雄太もW杯では結果を出していて、団体戦に出ていてもおかしくなかった。彼らと一緒に戦ってきて『メダルを獲るならこいつらと』と思っていたから、後輩たちにも絶対にメダルを獲らせてあげたいと思っていたんです」

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