検索

羽生結弦の新たな歩みは、悔しさ残るソチでの金メダルから始まった (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by JMPA/Noto Sunao

無料会員限定記事

 そうした気持ちがあったからこそ、シーズンイン直前だった13年8月末、羽生はメディア向けの公開練習の場所に、幼い頃から通っていたアイスリンク仙台を選んだ。フリーの曲に選んだのは『ロミオとジュリエット』。東日本大震災が発生した2010−2011シーズンに使用した曲だった。

 拠点をカナダに移す時に支えてくれた家族や、故郷からいつも声援を送ってくれる祖父母の支えへの感謝もあった。

 羽生のスケート人生が始まったのは4歳の頃だった。「実は野球少年だった」と幼少期を振り返る羽生は、父親とよくキャッチボールをしたり、ノックを受けたりしていたという。それが、姉が仙台のスケート教室に参加したことをきっかけに、フィギュアスケートを始めると、結弦少年は一気にのめり込んでいった。

 それから15年。羽生は五輪王者となった。ただし、彼はその金メダルに納得しているわけではなかった。だからこそ4年後は、今回は脅かされた"五輪の魔物"を、丸飲みにする実力と強い精神力をつけて臨みたい、と強く思ったのだ。

 実際に金メダルを手にした瞬間は「うれしさが込み上げてきた」と話したが、その後は「悔しさの方が大きくなっていった」と羽生は語る。

全文記事を読むには

こちらの記事は、無料会員限定記事です。記事全文を読むには、無料会員登録より「集英社ID」にご登録ください。登録は無料です。

無料会員についての詳細はこちら

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る