佐藤信夫氏・久美子氏(元浅田真央コーチ)に聞く「喜びと苦しみの日々」 (2ページ目)

  • 辛仁夏●文 text by Synn Yinha 中村博之●写真 photo by Nakamura Hiroyuki

佐藤久美子(以下、久美子) 私たちが(真央さんに)導かれていたわね(笑)。 

――導かれていましたか(笑)。

佐藤信夫(以下、信夫) やはりとても芯の強い人だということだけは間違いないですよね。逆に言えば、だからこそ、どうしてもこれと思ったら、自分の限度を超えちゃう一面がありました。でも無理な練習は故障につながりますから、そこのコントロールが一番大変だったということです。

――ジャンプの修正や、スケーティングスキルの向上のためにコンパルソリーの練習を徹底されたと言われています。

信夫(徹底したというよりは、)奥の手で、毎日ちょこっと、忘れないように何かひと言、アドバイスを言い続けてきたというのはあると思います

 専属コーチが不在のなかでバンクーバー五輪のシーズンを戦った浅田にとって、課題はジャンプの修正だった。だが、10年以上もジャンプを跳び続けてきたなかで、いくつかの癖がついていた。そこを見破った佐藤コーチだったが、すぐにはジャンプの修正に着手しなかった。まず始めたのはスケーティングの基礎を教えること。そのめどが立ってから、ジャンプの見直しに入ろうと考えていた。だから「道のりは長く厳しい」と覚悟を決めていた。当時、佐藤コーチは徹底したスケーティング練習をしながら、「流れを止めないようなジャンプにできればいい」と、修正点の最初の一歩を指摘していた。

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