日本ボクシング世界王者列伝:川嶋勝重 格闘技経験ゼロから大橋ジム初の世界王者となった好戦的ファイター 四半世紀の時を経て映画で描かれた亡き後輩との絆 (2ページ目)
【長い下積みの末、世界初挑戦は黒星】
川嶋はボクシングとは縁の乏しい少年期を送った。世界タイトルマッチをテレビで観ていくらかの興味はあったとしても、決して身近な存在ではなかった。
中学、高校時代は野球に熱中した。上手なプレーヤーではなかったが、懸命に練習を重ねて、レギュラーの座をつかみ取ったことが密かな自信にもなったという。学校を出ると大手家電メーカーに就職し、ごくふつうの勤め人としての日々を送っていた。
人生の転機は二十歳の頃合い。プロボクサーになった友人の応援に試合会場に行った。世界タイトルマッチの前座だった。「こんな世界があるのか」と思った。煌(きら)びやかなライトに照らされて戦う友人がうらやましくなった。ちょうど会社からは地方への転勤が打診されていた。
川嶋は腹を決めた。新しい夢を持ち、どこまでも追いかけてみよう。
1995年、大橋ジムに入門する。ジャブ、ワンツー、フットワーク、ブロックと基本の1から10まで学ぶ期間は2年にも及んだ。ようやくプロデビューしてからも長い下積みは続いた。5連勝で東日本新人王トーナメントで優勝したものの、全日本決勝ではのちの東洋太平洋チャンピオンに初黒星を喫した。その後に12の白星を連ね、初のタイトルマッチ(東洋太平洋バンタム級)にたどり着くも大差判定で屈した。
だが、川嶋はそんな悔しい敗北も肥やしにして、ジリジリと成長していく。時に単調になるところはあっても、常に積極果敢、右ストレート、フック、さらに左フックに一発KOの威力を秘めるボクサーパンチャーとして、ファンからも一目置かれる存在になっていく。2002年4月には乱戦に持ち味を発揮する佐々木真吾(木更津グリーベイ)に打ち勝ち、初のタイトル(日本スーパーフライ級)を手にし、リング上で涙した。
2003年6月23日、大きなチャンスが訪れる。横浜アリーナで徳山昌守(金沢)の持つWBC世界スーパーフライ級王座に挑んだ。川島の攻撃力に期待がかかったカードだが、トリッキー、大胆に見えて堅調な徳山の技術にコントロールされ、しぶとく食い下がるまでがやっとだった。0−3の判定で敗れた。
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