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日本ボクシング世界王者列伝:山中慎介 "KOアーチスト"として12度の世界王座連続防衛を果たした"GOD LEFT(神の左)"の衝撃史 (3ページ目)

  • 宮崎正博●文 text by Masahiro Miyazaki

【技巧の名手モレノとの猛烈倒し合いを制す】

 世界チャンピオンになってから、山中の強打はいよいよ磨きがかかっていった。「ゴッツいレフトやな」と誰もがその左パンチを表していたのが、いつの間にか「ゴッド・レフト」に進化したという笑い話が真実かどうかは知らないが、圧倒的な破壊力に満ちた左パンチは神話の領域にまで到達していたのは真実である。

 かつてフィリピンの生んだ最高の天才と呼ばれたマルコム・ツニャカオ(日本の真正ジムに所属)を最終回にストップした時の野性味が忘れられない。KO勝利こそ逸したが、元WBCスーパーフライ級王者にして「タフの権化」として知られたスリヤン・ソールンビサイ(タイ)を3度も倒した。そのなかには左ストレートで3メートル近く吹っ飛ばしたものもある。こちらも判定ながら元スーパーフライ級WBA王者、リボリオ・ソリス(ベネズエラ)戦も印象に残る。ダウンを互いが奪い合って迎えた終盤、山中の豪打がものすごい。その左ストレートは、巨大建造物を壊す巨大鉄球の絵図と重なって記憶に残っている。

 山中の名前を不滅のものにしたのは2016年9月16日、エディオンアリーナ大阪で行なわれたサウスポーの技巧派アンセルモ・モレノ(パナマ)との再戦だったろう。ちょうど1年前の前戦では微妙な判定でなんとか勝ち抜けた山中がこの時演じたのは、日本の世界戦ではかつて知らない猛烈な倒し合いだった。4ラウンドに逆転のダウンを奪われ、その後も右フックを狙い撃ちされて窮地の連続。しかし、6ラウンド、伝家の宝刀、左ストレートで倒し、さらに7ラウンド、2度のダウンを追加し、熱狂の渦にKOの名花を咲かせた。同じ日のダブルメインイベントでは長谷川穂積があまりに劇的な3階級制覇を成し遂げている。「9・16」は日本ボクシング永久の記念日である。

 ただし、このモレノ戦を経て、山中の戦力はややすり減った印象を否めなかった。2017年、2018年にはルイス・ネリ(メキシコ)に連続TKO負け。"悪童"ネリの薬物使用、ウェイトオーバーもあったが、山中の戦いにいまひとつ以上の精彩のなさも目立った。

 引退した直後、山中にインタビューしたことがある。そのキャリア終盤については、最後まで応援してくれた人々を気遣ってか、「モレノ戦の勝利で、確かに達成感はあったかもしれない」としながらも、その口調はやや濁った。「では」と話題を変えて、「生涯のベストKOは?」と聞くと、表情は一変し、軽やかに言葉が弾き出る。

「そりゃ、もう、トーマス・ロハス(メキシコ)戦。気持ちよかったですね」

 2012年11月、東日本大震災の傷跡がまだ癒えきれぬ仙台での試合。かつて日本のリングで世界戦に勝ったことのあるベテランサウスポーを、7ラウンド、左ストレートで沈めた。ロハスが音を立てて顔面からキャンバスに落下する強烈に過ぎるノックアウトだった。正直、恐怖におののき、応援団以外の観客席も静まりかえった。

 リングの中と外。むろん、残酷の定義は違う。リングの中でのボクサーが纏う一種の"狂気"は美徳である。山中の健やかな"狂気"が健在なのを確認して、私はますますこのボクサーのことを好きになる。

●Profile
やまなか・しんすけ/1982年10月11日生まれ、滋賀県湖南市出身。アマチュアの強豪、南京都高校(現・京都廣学館高校)でボクシングを始め、インターハイ2位、国体優勝。専修大学を経て、2006年に帝拳ジムからプロに転向した。長い下積みもあったが、2010年に日本バンタム級王座を獲得。初防衛戦でのちのIBF世界スーパーバンタム級王者、岩佐亮佑(セレス)を大激闘の末にTKOで破る。2011年、王座決定戦に勝ってWBC世界バンタム級王座を奪うと、12度の防衛に成功した。2018年に引退。サウスポーのボクサー型で、左ストレートの強打は「ゴッドレフト(God Left)」とあだ名された。31戦27勝(19KO)2敗2分。

著者プロフィール

  • 宮崎正博

    宮崎正博 (みやざき・まさひろ)

    20歳代にボクシングの取材を開始。1984年にベースボールマガジン社に入社、ボクシング・マガジン編集部に配属された。その後、フリーに転身し、野球など多数のスポーツを取材、CSボクシング番組の解説もつとめる。2005年にボクシング・マガジンに復帰し、編集長を経て、再びフリーランスに。現在は郷里の山口県に在住。

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