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【短期集中連載】中谷潤人、フィラデルフィアへ行く 迎えた元ヘビー級王者ティム・ウィザスプーンは「チャンプ、よく来たな」 (4ページ目)

  • 林壮一●取材・文 text & photo by Soichi Hayashi Sr.

 鉄板の上で薄いビーフを焼き、細かく刻む。それにオニオン、トマトと合わせてチーズで絡め、全長20cm強のバンズに挟む。"ステーキ"と呼んでいるが、サンドウィッチだ。全米各地に見られるメニューだが、本場ならではのボリュームだ。

 10日前に試合を終えたばかりの中谷は、体重を気にせず、何でも好きな物が摂れた。ティムが、「ぜひ、味わってくれ」と語りかける。

 中谷は豪快にかぶりつき、ペロッと平らげた。

 フィラデルフィア名物であるチーズ・ステーキは、ホットドッグスタンドを経営していたパット・オリヴィエリとハリー・オリヴィエリ兄弟によって生み出された。1930年代、この兄弟は新しいサンドウィッチを生み出すことを決意し、こんがり焼き上げたロールパンに、グリルビーフと玉ねぎを挟んだ物を考案した。

 とはいえ、当初、チーズは入っていなかった。同サンドウィッチが人気メニューとなったあと、1940年代にある支店長がプロヴォローネチーズを加え、チーズ・ステーキが誕生している。時の流れと共に、消費者のニーズに応える形でチキンやピザ味、辛いソースも作られた。

フィラデルフィアの名物「チーズ・ステーキ」フィラデルフィアの名物「チーズ・ステーキ」この記事に関連する写真を見る

 19世紀末から20世紀にかけて、フィラデルフィアへ移り住んだイタリア人の多くは、南部の農村出身で、社会的にも経済的にも恵まれない層だ。貧しきイタリアンがアメリカ合衆国に渡ってブルーカラーとなり、幾ばくかのカネを故郷に送った。移民として当地に居着いた彼らは、フィラデルフィア南部にコミュニティを築いた。

 汗まみれで過酷な労働をこなす彼らには、腹持ちの良い食べ物が必要だった。フィリー・チーズ・ステーキは、打って付けの品だったのだ。

「俺はここから車で15分ほどの土地で成長した。イタリアンマーケットってのは、すべてがイタリアンマフィアの手で作られたんだぜ」

 ティムは冗談とも思えない表情でそう口にすると、地元の名産品を食べ終えた。

(第2回:中谷潤人が映画『ロッキー』の名所で受けたレッスン 元ヘビー級王者が現役時代に味わった苦難には「哀しい気持ちになった」>>)

著者プロフィール

  • 林壮一

    林壮一 (はやし・そういち)

    1969年生まれ。ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するもケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。ネバダ州立大学リノ校、東京大学大学院情報学環教育部にてジャーナリズムを学ぶ。アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(以上、光文社電子書籍)、『神様のリング』『進め! サムライブルー 世の中への扉』『ほめて伸ばすコーチング』(以上、講談社)などがある。

【写真】 中谷潤人 圧巻のKOフォトギャラリー

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