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「永遠の3歳児」原宿ぽむが振り返る、コミカルなレスラーになった理由「正攻法では勝てない」 (3ページ目)

  • 尾崎ムギ子●取材・文 text by Ozaki Mugiko

【"暴力NG"家庭で育ったが、プロレスを観て「アニメみたい!」】

 大学生の時、"ふたり目"の父がタイに赴任。両親と妹はタイに移り住み、ぽむはひとりで日本に残った。長期休暇にはタイを訪れ、家族と過ごした。

「髪を黒く染めたくない」という理由で、就職活動はしなかった。大学卒業後は今までやったことのないことをやりたくて、遊園地などで働いた。

 2017年2月、タイに遊びに行き、バンコクで開催された『ジャパンエキスポ』に家族と行く。ピコ太郎を目当てに行った会場で、隣のテントから「なんだか妙にうるさい声」が聞こえた。近づいてみると、そこではみちのくプロレスが興行中だった。

「子供の頃からパパとママに暴力的なものは禁止されていたので、プロレスとか格闘技は『見ちゃダメ』って言われてたんです。でも、こっそりテントのなかを覗いたら......最初はすごく怖かったけど、空を飛んだり、オーバーリアクションしたり、『アニメみたい!』って思って」

 帰国後、プロレスファンの友だちと一緒にDDTを観戦すると、すぐに夢中になった。"推し"はアントーニオ本多。物販でサインをしてもらうなど、選手との距離の近さもうれしかった。

 6月頃、DDTプロレス教室に通い始める。後に東京女子プロレスで同期となる猫はるなと仲良くなり、東京女子も観戦に行くように。「東京女子でデビューしたい」と意気込む猫に対し、ぽむは「へえ~、頑張れ~」と気のない返事をしたという。プロレス教室に通いながらも、「プロレスラーになる」という意志はまるでなかった。

 2018年3月、プロレス教室が終了することになる。その際、ひとりひとり「東京女子に入りませんか?」と声をかけられるなか、ぽむは当然のように「断ろう」と思っていた。しかし、ぽむだけに声がかからない。「なんで、声かけないんですか?」と聞くと、「絶対やらないじゃん」との答え。そこでぽむは、「え、やるし!」――気づけば口が勝手に動いていた。

 それが、ぽむのプロレス人生の始まりだった。

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