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パリオリンピック男子レスリング 文田健一郎は金メダルとともに「世界一強いお父さん」の称号を手に入れた (2ページ目)

  • 佐野美樹●取材・文 text by Sano Miki

【得意だった投げ技を封印したことも】

 2016年のリオ五輪は代表選考から落選したが、2017年に国内最大のライバルでリオ五輪・銀メダリストの太田忍から日本代表権を奪取すると、パリで行なわれた世界選手権で初出場にして初優勝。世界選手権のグレコローマンスタイルで、日本人選手として34年ぶりとなる金メダルをもたらしたのだった。

 しかし、翌年の2018年には左ひざのじん帯損傷という大ケガにも見舞われた。世界王者になってこれからという時だっただけに、その事実が受け入れられず、「五輪は絶望」と自暴自棄になったりもした。

 そんな時、父の敏郎さんの言葉に救われた。

「1年後のケガじゃなくてラッキーだったな。まだ1年もあるよ」

 その言葉にハッとした文田は、まだ自分のストーリーは始まったばかりだったと気づかされた。それからは、彼の目指す場所がブレることはなかった。

 長いリハビリを経て大ケガを克服し、2019年に世界選手権で再び優勝すると、ついに念願の2020年東京五輪の出場権を獲得。しかし、初めての五輪の舞台は無観客で、憧れていた景色とはまったく違っていた。そして世界王者として挑む五輪は、誰もが彼を研究しているなかでの試合となり、最後は自分のパフォーマンスを出しきれずに決勝のマットで涙を飲んだ。

 でも、まだストーリーは終わっていない。この悔しさは、自分にしか糧にできない。

 ひたすら自分のレスリングと向き合い、得意だった投げ技を封印したこともあった。2023年の世界選手権の決勝で敗れるもパリ五輪の出場権を獲得した文田は、その敗戦により本当の自分のレスリングは何なのかが明確になった。そう、父からずっと教え込まれ、最大の武器だった投げ技なくして自分のレスリングは成立しないんだということを。

 迎えたパリ五輪。

 パリは文田にとって、初めて世界王者になった運命の場所。しかも今度は有観客で、父の敏郎さんも、そして愛妻と東京五輪の時にはまだ生まれていなかった愛娘も応援に駆けつけた。また、文田が五輪の道を目指すきっかけとなったロンドン五輪・金メダリストの米満も現地に帯同していた。

 パリは、文田にとってこれ以上ない舞台となった。

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