パリ五輪レスリング代表・尾﨑野乃香が慶應義塾大学を選んだワケ 一流アスリートが貫く文武両道の流儀「スポーツだけの人生になりたくなかった」 (2ページ目)

  • 布施鋼治⚫︎取材・文 text by Fuse Koji
  • 保高幸子⚫︎撮影 photo by Hotaka Sachiko

【ずっとオール5ではなかったが......】

 尾﨑の場合、いつから文武両道のマインドになったのだろうか。

「もともと勉強が近くにあったというか、周りがみんな、そうだったんですよ」

「周り」とは尾﨑が小・中学時代を過ごした成城学園のことを指す。都内の歴史ある名門私立校において、尾﨑は充実した学園生活を送っていた。

「みんな自分がやりたいことがあるから、勉強も頑張るという感じでした」

 すでに全国中学選手権で優勝するなど、レスリング界でも台頭していたので、レスリングと勉強の両立は大変だったと言う。

「本当に練習の合間に勉強して、テスト期間中は勉強のほうで頑張っていたので、成績も悪くない感じでした。オール5? いやいや、ずっとオール5というわけではなく、(5段階評定で)4、5、4、5という感じのときもありました」

 ......。すでに中学の時には当時エリートアカデミーの練習拠点のひとつとなっていた安倍学院高にも頻繁に練習に足を運んだ。

「そこでアカデミーの子と一緒に練習していました。中3の頃からレスリングでいい成績を残せるようになってきたので、(アカデミーの)菅芳松監督に声をかけてもらった感じです」

 中学を卒業したら、どんな進路に進めばいいのか。尾﨑は思い悩んだ。このまま成城学園に残ってレスリングを続けるか。それともエリートアカデミーに入って提携校に通いながら、より一層レスリングに集中するか。

「成城を辞めるのは、もったいないと思いました。その頃は、将来は薬剤師になりたいと思っていましたから」

 エリートアカデミーに入れば親元を離れ、オリンピックスポーツの強化拠点として知られる『味の素ナショナルトレーニングセンター』(東京都北区、略称NTC)に併設された宿舎で寝泊まりしながら練習に励まなければならない。たとえ実家が東京であっても、お盆と正月以外に帰ることは許されなかった。それでも、尾﨑は小学校の頃から慣れ親しんだ成城学園を離れ、エリートアカデミー入りを選択した。

 ひとりっ子の尾﨑にとっては、初めて味わう集団生活だった。

「3人部屋だったので、部屋に戻っても先輩や後輩がいる。自分の時間もなければ、ひとりになれる時間もない。最初のほうは、本当に苦しいことがいっぱいでした」

 アカデミーに近い帝京高校に通うことになったが、練習がハードすぎてついていくのがやっとだった。

「もう最初の頃は練習で疲れてしまい、勉強どころではなかったですね。そうなったら授業中に頑張るか、テスト前は勉強に集中するようにするなど、疎かにならないように努力していました」

2 / 3

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る