アントニオ猪木の苦境にタイガーマスク時代の佐山聡が抱いた思いと貫いた「ストロングスタイル」 (4ページ目)
佐山は、猪木さんが掲げる「ストロングスタイル」を理解していたからこそ、タイガーマスクがその看板に恥じない闘いをやれているかどうか、を常に考えていたという。
「タイガーマスクはアクロバットな動きを求められていたので、試合でやるのは仕方ありません。ただ、そんな動きの中でも、猪木さんが掲げるストロングスタイルに相応しくない動きはやりませんでした。
やろうと思えば、メキシコのレスラーがやるような華やかさに特化した動きをやることはできましたよ。だけど『アントニオ猪木』の美意識に反する"あり得ない動き"をすることはできませんでした。あくまで格闘技的なアクロバットな動き、理にかなった技ならいいんですが、そうじゃない技はやっちゃいけないと思っていました。それをやる対戦相手も許せなかったですね。
そんな中でも、ダイナマイト・キッド、ブラック・タイガー、ブレッド・ハート、小林邦昭さんなどとはストロングスタイルができたので、みなさんから評価されましたし、自分でも納得のプロレスができました」
猪木さんの美意識に相応しい闘いを披露し、爆発的な人気を獲得したタイガーマスクだったが、その歴史はわずか2年4カ月で幕を閉じる。1983年8月4日、蔵前国技館での寺西勇戦を最後に電撃引退したのだ。
(連載5:タイガーマスクを辞めた真相「猪木イズム」を原点に突き進んだ格闘技の道>>)
【プロフィール】
佐山聡(さやま・さとる)
1957年11月27日、山口県生まれ。1975年に新日本プロレスに入門。海外修行を経て1981年4月に「タイガーマスク」となり一世を風靡。新日本プロレス退社後は、UWFで「ザ・タイガー」、「スーパー・タイガー」として活躍。1985年に近代総合格闘技「シューティング(後の修斗)」を創始。1999年に「市街地型実戦武道・掣圏道」を創始。2004年、掣圏道を「掣圏真陰流」と改名。2005年に初代タイガーマスクとして、アントニオ猪木さんより継承されたストロングスタイル復興を目的にプロレス団体(現ストロングスタイルプロレス)を設立。2023年7月に「神厳流総道」を発表。21世紀の精神武道構築を推進。
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