アントニオ猪木の苦境にタイガーマスク時代の佐山聡が抱いた思いと貫いた「ストロングスタイル」 (3ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by 東京スポーツ/アフロ

「繰り返しになりますが、僕は格闘技をやりたくてプロレスラーになったんです。だけどタイガーマスクになって、格闘技はできなくなった。正直、当時の猪木さんに対して、不信感はありませんけど、失望感はありました。ただ、猪木さんを尊敬する思いは崩れませんでしたし、『ハイセルが苦しいから仕方ない』と思っていました。

 猪木さんは、体調が厳しくて休んだ時もありましたが、ほとんど欠場しませんでした。新日本の社長ですから、会社のことが一番大切だという思いがあった。レスラー、社員、その家族......みんなの生活を支えないといけない責任感だけで闘っていたと思います。だから僕も、格闘技をやりたい気持ちを我慢してタイガーマスクをやっていました」

【猪木が掲げた「ストロングスタイル」の真意】

 自らの理想が消えたタイガーマスク時代。それでも佐山の猪木さんへの敬意は不変だったという。そんな2人をつないでいたのは「練習」だった。

「猪木さんは、体調的に厳しくても試合前にはきちんと練習をやられていました。そこで僕は、若手時代と同じように毎日、猪木さんとスパーリングをやりました。格闘技の話もプロレスの話もせず、仕事以外の話をよくしましたね。当時の僕は、猪木さんにとって弟子というよりも、『いい話し相手』だったような気がします」

 試合でも、常に「アントニオ猪木」を意識していた。

「タイガーマスクは、たくさんの声援と拍手をいただいたんですが、そんなファンのみなさんには申し訳ないんですけど、僕が意識していたのは『アントニオ猪木』でした。『今、僕は猪木さんの美意識に合うプロレスをやれているのか』『こんなことをやって、猪木さんは怒ってないだろうか』と、猪木さんの視線を意識して試合をしていました」

 そうして師匠を意識し続けた佐山は、猪木さんが貫いた「ストロングスタイル」についてこう説く。

「猪木さんのストロングスタイルは、『相手の技を受けてはいけない』んです。もっと言えば、お客さんが『これは受けている』とわかるものはダメということ。だから、すべての動きがナチュラルなんですよ。それは、格闘技の基盤がないとできません。その基盤があるかないかは、構えですぐにわかります。猪木さんが貫いたプロレスの大切な部分は、『表現』が1、2割で、あとは『ガチンコ』。それがストロングスタイルです」

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