長州力は2代目タイガーにキレていた?若き三沢光晴がオリンピアンの長州相手に見せた天才の片鱗 (2ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • 山内猛●撮影 photo by Yamauchi Takeshi

三沢と越中の鬱屈

――そのルー・テーズ杯は、越中さんの優勝でしたね。

「そうですね。そのあと、越中さんと三沢さんはふたりでメキシコに海外武者修業に出ます。越中さんはサムライ・シロー、三沢さんはカミカゼ・ミサワのリングネームで戦っていました。ただ、専門誌で目にするのは、『越中は現地の食事でお腹を壊したけど、三沢は平気だった』といったこぼれ話くらいでしたが、必死で頑張っていたんだと思います。

 でも、修行の途中で三沢さんが帰国してタイガーマスクに変身。越中さんはメキシコに残ったままでした。だから俺は、越中さんを勝手に心配していたんです。ルー・テーズ杯の優勝者がメキシコに残され、準優勝者が日本に戻ってスター街道を歩み出したわけですから。

 結果的に越中さんは全日本を離れ、設立されたばかりのアジアプロレスを経て新日本と契約するんですが......『あの待遇なら、そりゃあ新日本に行くわな』って思いますよ」

――越中さんも激動でしたが、2代目タイガーマスクになった三沢さんもなかなかファンの支持を得られず苦労しました。

「のちに『日本一のレスラー』と称される三沢さんですら、タイガーマスクを軌道に乗せることは難しかった。いかに初代タイガーマスクの佐山聡さんがすごかったかという証明でもありますね。佐山さんの試合は、今見ても『おぉ!』と声が出るぐらい図抜けている。どうしても佐山さんと比較されてしまって、2代目タイガーマスクはブレイクしませんでした。

 ただ、その鬱屈があったからこそ、三沢光晴は稀代のレスラーへと成長したんでしょう。その鬱屈の最たるものが、(前編で語った)長州さんとの試合前に馬場さんに伝授された、サソリ固め封じの指導だったんじゃないかと思いますけどね」

――そこまで話が戻りますか(笑)。

「三沢さんは天才肌のレスラーですから、特訓の時にもしかしたら気づいていたかもしれないんです。『身長が2m以上ある馬場さんだからこそ、この返し技は有効なんじゃないか?』と。でも、馬場さんからの直接指導ですから、そんな疑問は口が裂けても言えずに『やります』ってなったんちゃうかと。2代目タイガーがイマイチ弾けなかった理由も、そこにあったのかもしれません」

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