豊ノ島が明かす幕下転落、無給生活、それでも妻は「やめさせない!」。笑顔で振り返る波瀾万丈の相撲人生 (2ページ目)
── 相撲部屋は"家族"とも言われますが、教えは受け継いでいくものですか。
「別に変化をすることに対して、自分は反対ではないですよ。やっぱり勝負ですから。現役が終わってみて、たとえば変化をするような相撲人生だったらどうだったろうと考えることもあるんですね。そうすると、相手からしたら選択肢は増えるわけです。自分は『変化しない』と公言していたから、相手が思いきりぶつかってくる。それは自分にとって結構不利なことです。
でも、それは勝手に僕がやり出したこと。変化することが反則でもないですし、自己満でやっているだけです。そう考えると、変化していれば相撲の幅が広がったのかなとは思うものの、変化せずに終わった相撲人生をやっぱり誇りに思いますね」
白鵬との優勝決定戦は財産
── 2007年9月場所では白鵬に勝利し、横綱が初めて金星を配給した相手になりました。2010年11月場所では優勝決定戦で敗れましたが、激突するなかでどんなことを感じる相手でしたか。
「30回以上戦って自分は2回しか勝てませんでした。『2回も勝っているじゃん』って言われたらそれまでですけど、やっぱり力の差があったんだなと感じます」
── そういう横綱と同時代に戦えたことは幸せでしたか。
「幸せでしたし、優勝決定戦をさせてもらえたのは財産ですね。白鵬関はその場所の途中まで63連勝という、一番強かった時代に決定戦をやらせてもらった。今でこそ平幕が優勝するのが当たり前な時代になってきていますけど、当時は横綱が優勝するのが当たり前でした。白鵬関が優勝しなかったらほかの横綱か大関という時代で、平幕に優勝させるなんか考えられないというなかでの決定戦で、横綱は『恐ろしく緊張した』と言っていましたね」
── 琴奨菊との取り組みも印象的でした。小学生の頃からわんぱく相撲でぶつかってきた相手と角界でも鎬(しのぎ)を削るのはどんな感覚でしたか。
「なんか運命を感じますよね。小学生の時から知っていて、一緒に入門して、切磋琢磨して......まさかですよね。うれしいを通り越した話ですよね。お互い『ようやったな』と」
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