ヒロ斎藤が引き出した「赤鬼」渕正信。ケンコバが重ね合わせた、上京後の千原ジュニアに抱いた悔しさ (2ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • 山内猛●撮影 photo by Yamauchi Takeshi

譲れない悔しさは忘れるな

――それは、ジュニアさんも覚えているんですか?

「最近、ジュニアさんにそれを言ってみたんです。『あの再会の時、俺のことを"自分"と言うてました』って。そしたらジュニアさんは、『絶対ない。俺は絶対ない』と。その時、俺は(1986年8月16日の試合の)渕さんのように耳を指差しましたよ(笑)。俺が渕正信で、ジュニアさんがヒロ斎藤という構図だったんです」

――まさに、やられた側は悔しさを覚えているという典型ですね。その悔しさは糧になりましたか?

「当時、ジュニアさんが東京吉本の若手をかわいがっていたことにも、俺は『大阪にいた俺らのこと忘れたんか』と思っていました。今、ジュニアさんと『にけつッ!!』という番組をやらせていただいているんですが、あの悔しさがあったからこそ奮起して、そこまで辿り着けたのかもしれません」

――そういったことからも、斎藤さんと渕さんの試合から教えられることがたくさんあることがわかりますね。

「あの試合で何度も耳を指差す渕さんを見たお客さんは、『いったい何をやっているんだろう?』と思ったでしょうね。イスで相手をバンバン叩きながら、耳を指差すって意味がわかりませんから。全日本のファンは家族連れも多かったですし、その前の試合で渕さんが耳をやられていた、なんてストーリーを知らないお客さんもたくさんいたと思うんです。だから会場の雰囲気も微妙だったでしょう。でも、それでもいいんです。俺が伝えたいのは、『たとえ誰にも伝わらなくても、譲れない悔しさは忘れるな』ということなんです」

――渕さんがここまでケンコバさんの心を揺さぶっていたとは驚きです。

「この試合は人にあまり語ったことがないんですけど、強く記憶に残っているんですよ。おそらくこの試合は、渕さんの"すごみ"が最初に出た試合だったんじゃないですかね。のちに若手の門番になって"赤鬼"と呼ばれるキラーぶりを発揮しましたが、それまでは常に冷静沈着で、レスリングの高い技術をベースにしたテクニシャンという印象でしたから。"赤鬼"と呼ばれる出発点があの試合だったんじゃないかと、俺は思っています」

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