2021.01.05

プロレスファンを魅了した数々の異名。「燃える闘魂」の名づけ親が語る誕生秘話

  • 松岡健治●取材・文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by 平工幸雄/アフロ

名レスラーたちの「異名物語」前編

 プロレスラーにはふたつの「名前」がある。ひとつはリングネーム。そして、もうひとつが"異名"である。「燃える闘魂」「鉄人」「革命戦士」「不沈艦」「風雲昇り龍」「人間山脈」「破壊王」「レインメーカー」......。昭和から平成、令和と時代は移れど、トップレスラーには必ずファンを魅了する異名がある。

昭和の新日本プロレスを支えたアントニオ猪木(左)と坂口征二(右) レスラーの看板ともいえる異名はどのように誕生したのか。アントニオ猪木の「燃える闘魂」を編み出した元テレビ朝日のアナウンサー・舟橋慶一氏に、歴史に残るキャッチフレーズが誕生した裏側と秘話を聞いた。

 舟橋氏は1962年、早稲田大商学部を卒業したのち、NET(現テレビ朝日)にアナウンサーとして入社した。同局が1969年7月から日本プロレスの中継をスタートすると、船橋氏は実況アナウンサーを担当。日本プロレスが崩壊した直後の1973年4月からは、アントニオ猪木が創設した新日本プロレスの中継を任され、猪木とモハメド・アリの格闘技世界一決定戦といった名勝負の熱気を、名調子でお茶の間に届けた。

 舟橋氏は、プロレスを実況する上でレスラーを象徴するキャッチフレーズは不可欠だと考えていた。

「お茶の間の視聴者に、レスラーや試合の印象を強く残すためには、絶対にキャッチフレーズが必要だと思っていました。それも、耳で聞いて響く言葉じゃないといけない。心に残る表現でないと視聴者の心に残らないんです」

 日本プロレスの実況をしている時にそう考えていた舟橋氏は、リング上で熱い魂をほとばせるひとりのレスラーにくぎづけになった。それがアントニオ猪木だった。日本プロレス時代の猪木は、亡くなった師匠の力道山が座右の銘としていた「闘魂」を看板に掲げていた。