【国際プロレス伝】「欧州ルート」からビル・ロビンソンもやってきた (4ページ目)

  • 宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya
  • photo by Nikkan sports/AFLO

「あのころは地方に行くと、旅館に泊まっていました。外国人選手は別だったけど、我々選手たちだけで少なくとも15人、それにレフェリーやリングアナウンサー、営業担当、トラックでリングを運んで設営するスタッフもいたから、ざっと数えても20人以上の一個連隊。スポンサーと街に繰り出さないときは、大広間で宴会ですよ。

 学生の合宿みたいだったけど、社長も来ると一緒になって呑んでね。宿のビールも日本酒も焼酎も全部なくなっちゃって。それで終わりかと思ったら、今度は誰かの部屋に行って、持ってきた酒で2次会。夜が明けるまで延々と呑んでいました。呑んだら最後、『このへんで終わりにしよう』なんて誰も言わなかったですからね。社長を筆頭に、木村さん、草津さん、寺西(勇)さん、井上さん、僕、鶴見(五郎)、大位山(勝三)、米村(天心)、(スネーク)奄美......そのあたりがだいたい、いつもいるメンバーで。

 そうだ、大位山といえば、また話が脱線しますけどね。あのころ毎年、お正月は埼玉の浦和にある社長のご自宅にみんなで集まっていたんですよ。そのときも、例によって朝から座が開いて、呑んで、呑んで。それでも、『まぁ、電車があるうちに』と帰ったんですけど、大位山は山手線に乗り換えたところで寝てしまった。それからぐるぐる、ぐるぐる、何周も回って、結局ずっと山手線に乗っていた。彼もめっぽう酒が強かったけど、あんまり自分をさらけ出さないタイプ。静かに呑んでいて、女のコなんか横にくると、フランク永井さんの『おまえに』を歌ってモテてたけど、こっちは騒いで終わりでした。

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