「物語」は終わらない。37歳のマニー・パッキャオが復帰を決めた理由 (2ページ目)

  • 水野光博●文 text by Mizuno Mitsuhiro
  • photo by AFLO

 パッキャオが成し遂げた6階級制覇は、まさに偉業だ。しかしそれ以上に、デビュー時より20キロ以上も体重を増しながら、攻撃的なスタイルを変えずに勝ち続けたことは、もはや"奇跡"としか言いようがない。

 体格で上回る強豪をなぎ倒し続けたパッキャオの拳(こぶし)は、いつしか「国民の拳」と呼ばれるようになる。フィリピンの一部が内戦状態にあったときも、パッキャオの試合中だけは兵士が銃を置き、テレビに見入った。フィリピン国民9000万人の期待を、パッキャオはその背中に背負うようになっていく。特に、故郷ミンダナオ島には惜しげなく私財を投じ、多くの学校を建て、農道を作り、ヤギや水牛を増やしてきた。

 パッキャオの物語を語るうえで、2012年12月に行なわれた4階級制覇の「メキシコの英雄」ファン・マヌエル・マルケスとの4度目の対戦は記しておくべきだろう。

 試合前に最終調整を行なうため、パッキャオはフィリピンからラスベガスへと飛ぶ。その直後、ミンダナオ島を巨大な台風が襲った。540万人以上が被災し、死者・行方不明者は1500人を超える大災害。故郷の悲劇を、パッキャオは遠くアメリカから祈ることしかできなかった。

 試合当日、急遽ミンダナオ島に特設スクリーンが用意されると、被災していた島民が詰めかけた。この試合、ボボイは「彼らのためにノックアウトで勝つことしか、マニーの頭にはなかった」と語っている。

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