【ボクシング】村田諒太の武器、右ストレートを生かす術とは? (3ページ目)

  • 原功●文 text by Hara Isao photo by Getty Images

 村田が契約を交わしているアメリカの大手プロモート会社、トップランク社のボブ・アラム・プロモーターは、村田の世界挑戦の時期に関して、「来年の後半、10戦目」と目途をつけている。周囲からは「急ぎ過ぎ」との声も聞こえてくるが、必ずしもそうとは言い切れない。

 1992年バルセロナ五輪・金メダリストのオスカー・デラ・ホーヤ(アメリカ)は、プロ転向から1年4ヵ月後の12戦目で最初の世界王座を獲得している。また、1996年アトランタ五輪・銅メダリストのフロイド・メイウェザー・ジュニア(アメリカ)もプロ転向2年、18戦目で戴冠を果たした。さらに、2000年シドニー五輪と2004年アテネ五輪連覇のギレルモ・リゴンドウ(キューバ/アメリカ)は転向1年半後の7戦目で王座を獲得し、アテネ五輪・金メダリストのユリオルキス・ガンボア(キューバ/アメリカ)もプロ2年目の15戦目で王座を手に入れている。過去の五輪メダリストのように実力さえ伴っていれば、10戦目で世界を狙うことは無謀ではない。ただし、1976年モントリオール五輪・金メダリストのレオン・スピンクス(アメリカ)のように、プロ転向13ヵ月後の8戦目でモハメド・アリ(アメリカ)を破って世界ヘビー級王座を獲得したものの、わずか7ヵ月の在位に終わり、その後、鳴かず飛ばずだった例があることも忘れてはならないが……。

 村田が長足の進歩を見せていることは事実だが、先達らと同等の成功を収めるためには、経験の上積みが不可欠だ。特に、サウスポーやスピードのある選手、手数の多いファイター、スタミナ旺盛でタフな相手との対戦は避けて通れない。村田にとって未知のタイプは、まだまだ多いのである。

 1年半後の世界挑戦を見据え、陣営では年内に2試合を組む予定だという。大勝負へのカウントダウンが始まったことで、村田に課されるノルマはさらに厳しいものとなるはずだ。どんな実績を持った選手を選ぶのか、どんなタイプと対峙するのか、そしてどんな試合をするのか――。「金メダリストとして、世界を取るのは義務」と言い切る村田の次戦を楽しみに待ちたい。

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