【格闘技】旗揚げ20周年、パンクラスの大逆襲が始まる

  • 布施鋼治●文 text by Fuse Koji
  • photo by Koji Kasai

 パンクラスというMMA(総合格闘技)団体を覚えているだろうか。かつて既存のプロレスとは一線を画する形で船木誠勝や鈴木みのるが作った「ガチンコプロレス団体」といえば、ピンと来る人も多いだろう。旗揚げは1993年9月21日、東京ベイNKホール。第1試合から衝撃的な短時間決着が連続し、"秒殺"ブームを巻き起こした。今年で旗揚げから20年。9月29日には横浜文化体育館で設立20周年記念興行『PANCRASE252』を行なう。

パンクラスの変革を進める酒井正和代表(中央)。その左は9・29横浜大会で特別リングアナを務める紅蘭(くらん)パンクラスの変革を進める酒井正和代表(中央)。その左は9・29横浜大会で特別リングアナを務める紅蘭(くらん) パンクラスが旗揚げした1993年は、2000年代まで続く格闘技ブームの元年といえる。同年4月にK-1が、11月にはUFCがスタート。パンクラスは日本の格闘技の歴史とともに歩んできたと言って過言ではない。

 パンクラスに大きな転機が訪れたのは2000年5月。ヒクソン・グレイシーに敗れた船木が、MMAファイターを引退したのがきっかけだった。その3年後には鈴木がMMAからプロレスにUターン。2枚看板を失ったパンクラスは、階級やルールを整備するなど競技化の方向に舵を切りMMA団体としての生き残りを模索し始めた。

 しかし、興行規模は縮小傾向に。以前は収容人員1万人クラスの会場でも頻繁に開催していたが、2006年の横浜文化体育館大会を最後に大会場は使用しなくなった。以降は、月に一度の割合で収容人員500~1000人規模の会場で地道に大会を打ち続けるコンパクトな団体に転換した。

 これはパンクラスだけではない。2007年にPRIDEがUFCに買収されて以来、日本の格闘技熱は冷え込むばかり。MMAマーケットの中心が日本から北米に移ると、日本人選手たちにも大きな意識の変化が出てきた。国内でチャンピオンになることを目標にするのではなく、国内で獲得したタイトルをステップにUFCなど海外のメジャーな団体での活躍を夢見るようになったのだ。結果、国内外の強豪選手の出場は減り、日本の団体はドメスティックなものになっていった。

 パンクラスに第二の転機が訪れたのは昨年6月。「世界標準」をスローガンに、新たに代表となった酒井正和氏が団体の大改革に打って出た。ヴァンダレイ・シウバが率いるWAND FIGHT TEAMなど海外の有力ジムとの提携、国内の選手を積極的に海外に送り込むパンクラスマネージメントの設置、他団体をも巻き込んだアマチュアの底辺拡大...。

 就任時、酒井代表は「1年後、パンクラスはガラッと変わっている」と宣言したが、その言葉は現実のものとなりつつある。今年2月の大会からは海外の有力ジムから外国人選手たちが定期的に参戦。さらにUFCなど海外のメジャー団体からオファーが来ると、躊躇なく選手を送り出すようになったため、パンクラスを取り巻く熱は一気に高くなった。現ミドル級王者・川村亮の証言。
「この1年でパンクラスに上がりたいと言ってくる日本人選手は明らかに増えましたね」

 改革はリングの上だけではない。6月には同じ横浜をホームタウンとするJリーグの横浜FCとの電撃提携を発表。今後は経営のノウハウなどを共有しながら、手をとり合って横浜を盛り上げていくという。その一方でメディア戦略にも出る。フリーペーパー形式のオフィシャルマガジン『HYBRID』を創刊し、さらに同名のドキュメンタリー映画を制作・配給した。また、9月1日からは北米では主流を占める試合スタイル――ケージ(金網)に囲まれた舞台での闘い――『Bayside FIGHT』をスタートさせた。

 9月29日の『PANCRASE252』は大改革第一章の集大成といってもいいだろう。酒井代表はパンクラスとしては実に7年1ヵ月ぶりとなるビッグイベントの位置づけを20周年記念ではなく、世界標準の本格的なスタートと捉えている。

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