【ボクシング】ミドル級・村田諒太。ケンカ小僧の理想的な成長
「不可能」と言われたミドル級で48年ぶりの快挙を成し遂げた村田諒太プレイバック ロンドン五輪/男子ボクシング
ボクシングでは、東京大会のバンタム級・桜井孝雄以来となる五輪金メダルを獲得した村田諒太。48年ぶりの快挙だが、同時にこの金メダルは『ミドル級での優勝』という点に、ひと際高い価値がある。
アマチュアボクシングのミドル級は、75キロが体重のリミット。それは欧米人の平均的体格と合致しており、古くからミドル級の選手層は世界的に厚いことで知られている。
同時に「東洋人には手の届かない階級」と言われ、現に120年近いプロのミドル級史で、世界を制した東洋人は、竹原慎二とフィリピン人選手の2名のみ。過去の歴史がそれを裏付けている。
歴史的快挙を成し遂げた村田とボクシングとの出会いは、中学生までさかのぼる。
「何かやりたいことはないのか?」
そう聞く先生に、髪の色を茶色に染め、ケンカに明け暮れていた少年は、「ボクシング」と答えた。それが始まりだった。高校ボクシング界では名の知れた強豪・南京都高校に進み、ここで『人生の師』と仰ぐ武元前川(たけもと・まえかわ)氏と出会い、その素質が開花した。
こんな逸話が残っている。あるとき村田が後輩に鉄拳を振るっていると、武元先生は村田を呼びつけて諭(さと)した。
「おまえは他人とは違う能力を持っている。その拳(こぶし)は正しいことに使ってこそ価値があるんだぞ」
大目玉を食らうと覚悟していた村田は、二度と自分の拳を無為(むい)に振るうまいと決めた。
東洋大学進学後も、全日本選手権優勝や世界選手権出場など輝かしい実績を残すが、最大の目標だった北京五輪出場は逃している。これを機に一度は引退。後輩の指導にあたったが、そんな折に元部員が不祥事を起こしたため、東洋大ボクシング部は休部に追い込まれてしまう。現役復帰を果たしたのは、沈み込む周囲を奮い立たせるためでもあった。
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