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【女子バレー】中川つかさが3度目の日本代表で徹した役割「チームを元気にしようと意識していました」 (3ページ目)

  • 田中夕子●取材・文 text by Yuko Tanaka

――セッター同士ではどんなコミュニケーションを重ねてきましたか?

「アタッカーの『もっとこうしたい』という考えを、私からセナさんに伝えるのが第一の仕事でした。試合中も気づいたことがあればすぐ伝えていたし、アタッカーにもセナさんの考えを伝えるという、つなぎ役に徹していました。もちろん自分がプレーで流れを変える、ゲームチェンジャーになることも重要だし、必要な時が来ると思っていたので、そのための準備もしていました」

――最終戦、ブラジルとの3位決定戦はまさにそんな試合でしたね。

「あの時は1セット目が終わって、2セット目も雰囲気が変わらなかったので呼ばれそうやな、という予感はありました。(NEC川崎で監督だった)金子(隆行)さんもコーチでベンチにいるので、やたら目が合うし(笑)。

来るか、来るかと待っていたら、セナさんが後衛になったタイミングで交代、と言われました。少し雰囲気を戻すことはできたかな、という手ごたえもあったし、3セット目になればまた流れも変わるはず、と思っていたら3セット目のスタートに(中川の背番号の)22と書いてあったので、『え? 私スタート?』と、その時はびっくりしました」

――満を持してではなく、驚いていたんですね。

「はい。大会を終えてから取材でも『やってやろう、という気持ちだったんですか?』と聞かれたんですが、まったくそんな気持ちはなくて、むしろ『嘘やろ、今までも私が入ってもいい場面があったのに今ここで来る?』と(笑)。もちろん頑張る前提ではありますが、内心は、『嘘やん、いや嘘、嘘』と思いながらコートに入ったんです(笑)」

――そんな素振りはまったく見えませんでした。

「たまたまサーブから始まって、私が第1サーブでした。その時に、今まで何のために日本代表で活動してきたのか。この半年間の成長や、いろんな思いをぶつける瞬間は今しかない、と思いましたね。たとえ2025年に日本代表に選ばれて、世界選手権に出られたとしても、次はわからない。選ばれる確約はないじゃないですか。もしかしたらこのユニフォームを着て試合ができるのはこれが最後かもしれない、と思ったし、もしもそうなったとしても悔いのない終わり方がしたかった。サーブを打つ前に気持ちが完全に切り替わって、スイッチが入りました。絶対にやってやる、というマインドでした」

――2セットダウンから2セットを取り返した。アタッカー陣がカムバックしてすばらしいパフォーマンスをするなか、特に一度はベンチに下がった佐藤選手の覚醒が印象的でした。

「淑乃とはNECでも一緒なので、1年目からあれだけ活躍しているのにずっと『私なんか』と考えてしまうタイプなのを理解していたので、そうじゃない、という話はリーグ中からずっとしてきました。だから、あの場面では特に淑乃を助けたいと思ったし、同じように、真佑のことも助けたい、力になりたい、と思っていました。セナさんも疲労がたまっていたし、前日の準決勝で負けた責任を背負って、切り替えるのも難しそうに見えたのでその分も私が助けてあげたかった。

 まずは淑乃と真佑が気持ちよく打てればスパイクも決まるし、チームが変わると思いました。たとえ(ブロックが)2枚ついても気持ちよく腕が振れるトスを上げるしかない、と思いながらプレーしました。結果は負けてしまいましたけど、あの時できることはやったと思います」

【後編】NEC中川つかさをセッターとして成長させた皇后杯決勝の1本のトス>>

Profile
中川つかさ(なかがわ・つかさ)
2000年8月13日生まれ、大阪府出身。ポジション・セッター。身長159cm。
金蘭会中学、金蘭会高校、東海大の各カテゴリーすべてで日本一を経験している。高校3年の時には春高バレーで連覇を果たし、大学4年最後のインカレでも連覇を経験して、最優秀選手にも選ばれた。2023年にNECレッドロケッツ川崎に入団。2025年は日本代表としても活躍した。

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