狩野舞子が語るケガとのつき合い方。無理をしてプレーを続けることを「美談にしてはいけない」 (2ページ目)

  • text by Sportiva

――狩野さん自身も現役時代はケガが多かったですが、今回の古賀選手の復帰をどんな気持ちで見ていましたか?

「私も、無理をすれば五輪の舞台でプレーできる状態なら、出場することを選んだと思います。ただ、ケガを押して最後の2戦に出たことを、美談にしてはいけないと感じています。あれは『特例』だったと思うのです。古賀選手が東京五輪に対する強い思いがあり、自分で『出ます』という判断をしたからであって、今後同じようなことが起きた時に『古賀選手はケガしても復帰できたんだから』と選手を追い詰めるようなことがあってはいけないと思っています」

現役時代、多くのケガに苦しんだ狩野 photo by Sakamoto Kiyoshi現役時代、多くのケガに苦しんだ狩野 photo by Sakamoto Kiyoshiこの記事に関連する写真を見る――狩野さんは選手時代、日本代表に選出されるようになった中学生の時から左足の腓骨骨折、椎間板ヘルニア、右膝の半月板損傷、両足のアキレス腱断裂など、多くのケガに苦しんできました。そういった時に、気持ちをどのようにコントロールしていましたか?

「気持ちのコントロールは、ケガを重ねるうちに学びました。中学の時はオーバーワークで腓骨がらせん状に折れたんですが、ちょっと状態がよくなると『もうプレーできる。やります』と監督にも言っていました。自分がチームメイトに置いていかれている、という焦りもありましたから。

 Vリーグでプレーするようになってからもケガが続きましたが、だんだん"よくなってきた時期"の大事さがわかってくるんです。そこで耐えることが、いい状態で長くプレーするために重要なことを、トレーナーの方などから何度も注意を受けて理解することができました。だからこそ、ロンドン五輪にも出場できたんだと思っています」

――久光製薬(現久光)スプリングス入団1年目、2008年2月の右足のアキレス腱断裂を覚えているファンも多いと思います。その後、プレーにどんな影響がありましたか?

「手術後すぐは、足首の可動域が狭まったことに大きなショックを受けました。たとえば体操の『アキレス腱伸ばし』の時に、まったく足首が曲がらなくなっていて。その時は『本当にまたプレーができるのかな』ととても焦りましたが、リハビリを重ねていくうちに徐々に可動域は広がっていきました。

 それでも『元と同じようになる』ことは無理です。大きなケガをしたあとは、"新しい自分"としてどうプレーしていくかを考えたほうがいいと思います。そうじゃないと、『前にできていたプレーができなくなった』と落ち込んでしまう。私も、新しいことに取り組んでみることにシフトしていきました」

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