木村沙織は高校生で代表デビュー。アイドル的な人気爆発に「違和感があった」出来事 (3ページ目)

  • Text by Sportiva

――翌2004年のアテネ五輪の最終予選では初戦から活躍するなど、出場権獲得に大きく貢献しました。ひとつ前のシドニー五輪の出場を逃していたことから、並々ならぬ決意で戦っていた選手もいたようですが、木村さんはどうでしたか?

「シドニー五輪の出場権を逃した選手たちの思いを理解しきれていなかったというか、今思うと"気楽"だったなと思います。伸び伸びと、毎日『楽しい』と思いながらプレーをしていましたが、すごく先輩方に迷惑をかけていたんじゃないかと......あらためて振り返るとそう思います」

代表デビューは高校2年時の2003年 photo by Sakamoto Kiyoshi代表デビューは高校2年時の2003年 photo by Sakamoto Kiyoshiこの記事に関連する写真を見る――アテネ五輪の本戦は5位。木村さんは腰の状態が悪く、あまり出場機会がなく大会を終えましたが、決勝の中国vsロシアの試合を見に行ったそうですね。

「チームでまとまって、というわけではなく、みんなバラバラで見に行きました。私は(大山)加奈さんに誘ってもらって、2人で。試合は中国がセットカウント3-2で勝ちましたが、それを見て『アジアのチームでも、金メダルを獲れるんだ』と思いました。体格はロシア選手のほうが大きかったのに、そのチームに勝ったことに気持ちが奮い立ちました。次の北京五輪は、もっと頑張ろうと」

――その翌年、高校卒業と共に東レアローズに入団しますが、どういった経緯があったんでしょうか。

「最初は、(アテネ五輪で主将を務めた)吉原知子さんが所属していたパイオニアに入りたいと思っていたんです。でも、東レの担当者の方が毎日のように高校まで足を運んで、練習を見にきてくれた。バレー部の監督も推してくれたんですが、当時の私は天邪鬼だったというか、『そこまでされると、逆に行きたくない』となって渋っていた時期がありましたね(笑)。結局は東レに入り、1年目から試合に出させていただいて、そこからリーグ優勝などいろんな経験をさせていただきました」

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