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江畑幸子が復帰を目指すも引退を決断したリアルな経緯。最後の練習では涙をこらえきれなかった (2ページ目)

  • 中西美雁●文 text by Nakanishi Mikari

 その1回目は、ロンドン五輪が終わったあとに迎えた2012-2013シーズン。2010年の入れ替え戦に敗れてから、なかなか1部に昇格できていなかった日立リヴァーレ時代のことだ。

「そのシーズン、2部で準優勝して入れ替え戦に進み、相手は前シーズンの1部リーグ3位だったデンソー(エアリービーズ)でした。1日目はセットカウント3-1で負けて、2日目でかなり頑張らないといけない展開になってしまった。それでも、ボロボロにされたイメージはなくて、『自分たちがちゃんとやることをやれば勝てるんじゃないか』とみんなが感じていたんです。そうして迎えた2日目は、私の『当たりの日』だったんですよ」

 ロンドン五輪の準々決勝(中国戦)でも日本を勝利に導いた、江畑のプレーが何でもうまくいく「当たりの日」。江畑は「中国戦以来の絶好調な日でした」と振り返る。

「第1セットの序盤で私もサービスエースを決められたりして、大きくリードできたので気持ち的にも『あ、いける』となりました。いい形で第1、第2セットを取れたんですが、第3セットを奪われてしまったので、第4セットは絶対に取らなきゃいけませんでした(1日目にセットカウント1-3で敗れていたため)。

 私のバックアタックがすごく効いていたので、第4セットが始まる前に、セッターに『バックアタック、全部私に持ってきてください』と伝えました。そうしたら、そのセットが始まってすぐに決めることができたので、『もっとください』と。本当に決められる感覚しかなく、点数をつけることができて、最後の1点も私のバックアタックで取りました」

 1日目、2日目ともセットカウント3-1で決着がついたが、得失点の差で日立が上回った。江畑の大爆発でつけた点差が、なかなか手が届かなかった1部昇格を手繰り寄せたのだ。

 日立が5年ぶりに1部リーグに戻り、江畑の「代表唯一の2部リーグ所属選手」という肩書もなくなった。1部復帰の1年目、日立は8チーム中6位と順位上は苦しんだものの、1部でチーム史上最高となる12勝を挙げて残留を決めた。

 そのシーズン終了後、江畑はフランスリーグに挑戦する。

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