本人に聞く、バレー界期待の「高校生Vリーガー」西田有志とは何者か (2ページ目)

  • 中西美雁●文 text by Nakanishi Mikari

――「ちっちゃい頃」とは何歳くらいのときですか?

「10年前の北京オリンピックのバレー中継を見ていたとき、親に『ここ(オリンピック)でやる』と言ったのを覚えています。少し歳の離れた姉と兄がバレーをやっていたので、赤ちゃんの頃からバレーの会場に行っていましたし、僕自身も保育園の年長くらいからバレーやっていますから、Vリーグや全日本が自然と目標になりました」

――中学2年時にはJOC杯の三重県選抜に選出されるなど、注目を浴びるのも早かったですね。

「一応、小学校を卒業するときには強豪の中学校から声をかけていただいたんですけど、僕は『強い学校に行って全国に行く』のが当たり前だとは考えていませんでした。地元の中学校のチームは(バレーの成績が)落ち気味で、バレー経験者の指導者の方も僕が3年生になるまでいなかったんです。だから、それまでは僕が同級生にバレー教えていたんですが、その中で自分のプレーを客観的に見ることができて、バレーの幅が広がりました。

 しっかりとした指導者の方がいたら経験できなかったことだと思います。それもあって、中学3年生のときには愛知の星城高校さん(石川祐希の母校)などからの誘いをお断りする形で、地元の海星高校に行くことを決めました。だから、ジェイテクトに入ると決断したのは人生で最も大きい挑戦かもしれません」

――決断を後押ししたきっかけはありますか?

「(2017年3月の)アジアユースでは出番が少なくて、(同年8月の)ユースの世界選手権ではメンバーに選ばれませんでした。高校の監督から『大丈夫か?』と心配されるくらい落ち込んでしまったんですけど、そのときに『この先もバレーをやっていくなら、もっと頑張らなあかんな』って思ったんです。大学の試合も見ていたんですけど、Vリーグはもっとすごいものがあると感じていて。そこで戦うことを目標に、イチから頑張ることができました」

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