退任した女子バレー眞鍋元監督が語りつくす「2度の五輪と今後の日本」 (3ページ目)

  • 中西美雁●文 text by Nakanishi Mikari



―― では、リオ五輪は戦前からかなり分が悪い戦いになると予想されていたと。

眞鍋 当然です。世界の他のチームはみんな背が高くなる、パワーヒッターがいる。その中で、日本の現状把握をして、厳しいことはわかっていました。だから「化学反応」を期待しました。最後はそれしかないと思いました。

―― 眞鍋さんというと、いろいろな戦術を駆使されていた印象があります。

眞鍋 それは目標を達成するためです。まずはメダル獲得、その次は世界一......。

 今まで日本は(男女で)3回金メダルを獲っています。1964年東京五輪は、大松博文監督が編み出した「回転レシーブ」という技を使って。1972年ミュンヘン五輪、男子の松平康隆監督の時は「時間差攻撃」が秘密兵器となり、1976年モントリオール五輪、山田重雄監督の時は松田紀子さん、白井貴子さんの「ひかり攻撃」という速い攻撃がありました。

 こうして歴史を見ると、今まで日本が金メダルを獲得したのは、新しい戦術を開発したときですよね。何か新しいこと、戦術をしないと勝てない。だからいろんなことをしました。「MB1」とか「ハイブリッド6」とか。私が日本以外の代表監督なら、こういうことはしなかったです。普通にやって勝ちたいですよ。でも、それは仕方がないことで日本は背が低いですから。

 2008年に代表監督になった時、松平さんに呼ばれ、いろんな話をしていただきました。その中で一番心に残った言葉が「非常識を常識に」というものでした。「眞鍋があと3年半後のロンドン五輪までに、世界のバレーボール関係者から『お前の戦術は非常識だ』と言われようが、『これが常識だ』だと言われるまでやり続けることができた時、もしかしたらメダルが獲れるかもしれない」と言われました。

 やっぱり大先輩がおっしゃったことですから、素直に受け止めて、いろんなことに挑戦しました。選手もスタッフも、よくそれについてきてくれました。

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