天才少年・錦織圭のフォアハンドは「世界で通用する」 5歳年上・添田豪の本音は「正直、認めたくない気持ち」 (3ページ目)
【なかなか素直に認められない】
淡々と語る添田氏は、「もちろんそれでも、すごく悔しい思いはいっぱいしましたけど」と、端正な口もとを微かにゆがめる。
「もちろん、そこは自分の捉え方次第なので、いい刺激にしようとは思っていました。だけど、やはり自分も選手なので、当時はなかなか素直に認められないところもあって......。なので、半々くらいですかね、いい刺激と悔しさが」
添田氏のこれらの言葉の真意を理解するには、当時の日本男子テニス界の背景を知る必要もあるだろう。
1973年にATPランキングが導入されて以降、日本人男子では坂井利郎氏が同年に世界75位を記録。その後、松岡修造氏が1988年にトップ100入りを果たした。
しかしそれ以降、日本勢の苦しい戦いが続く。錦織が18歳でトップ100を突破したのが2008年。添田氏がプロ転向した2003年当時、100位は高くそびえる壁だった。
その当時の日本テニス界の空気感を、添田氏が回想する。
「日本に限れば、トップ100はすごく遠い世界だという雰囲気がありました。やはり修造さん以降、そこに入れた選手はいない。僕の少し上にはすごく強い選手たちがいましたが、彼らですら100を切れなかった。コーチたちからも『とてつもない世界だ』と言われていたので、僕も21~22歳ころまでは、すごく遠いと思いながらやっていました」
そんな添田氏にとって大きかったのは、台湾の盧彦勳(ルー・イェンスン)のように、同世代で体格的にも近いアジアの選手がトップ100入りを果たしたこと。そうした選手と対戦するなかで、「そんなに遠くないんじゃないか? 周りが言うよりも、自分は(トップ100に)近いんじゃないのか?」と感じるようになれたという。
果たして添田氏は、2011年にトップ100の壁を突破。翌2012年には、グランドスラムやATPツアーが主戦場となった。
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