大坂なおみ、昨年は差別廃絶アピールも、今年の全米OPに「メッセージはない」

  • 内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki
  • photo by AFLO

 それは、細胞が沸き立つような興奮ではなく、「ノスタルジア=郷愁」なのだと、彼女は言った。

 2018年、2020年と、すでに2度のトロフィーを抱いたニューヨークのUSオープン会場に宿る、大坂なおみの思い出の話。

 昨年は、コロナ禍のなかでの開催。2万人を収容する世界最大のテニス専用スタジアムに、観客の姿はなかった。

 初戴冠となった3年前は、自らの永遠のアイドルであるセリーナ・ウィリアムズ(アメリカ)を決勝で破るも、祝福の場であるセレモニーは主審の判断に納得のいかぬセリーナファンのブーイングに埋め尽くされる。稚拙な不満と目的地のない悪意の発露に塗りつぶされた混沌のセレモニーのなか、彼女は幾度も目もとをぬぐった。

大坂なおみがホームグラウンドに戻ってきた大坂なおみがホームグラウンドに戻ってきたこの記事に関連する写真を見る それら、あまりに対照的なふたつのトロフィーと、ふたつのセレモニーの夜は、多くのテニスファンの記憶に鮮烈なコントラストとともに焼きついている。

 だが、23歳になった大坂がUSオープン会場に足を踏み入れた時、心に蘇ったのは、それらよりはるかに古いテニスの原体験だったという。

「思い出されるのは、子どもの頃、会場のいたるところを走り回っていたことなの」

今から20年前----。日本の大阪市からアメリカの東海岸に移った大坂たちは、父親の親戚を頼り、USオープンテニス会場にほど近いニューヨークの郊外に住み始めた。

 かろうじて物心のついた大坂家の次女が、姉とともに父親の手ほどきでテニスを始めたのが、まさにUSオープン会場であるナショナルテニスセンター。もっとも、大坂にとって一番古いテニスの記憶は、一緒に練習していた少女の顔にボールが直撃するという、「怖さ」の感情と結びついている。

「トラウマチックな出来事。私はボールが怖くて、しばらくラケットを顔の前で構えていたわ」

 そんな思い出を、かつて大坂が聞かせてくれたことがある。

 あるいは、子どもの頃に大会に出るために会場を訪れても、試合までじっと待っていられるはずもない。姉と「かくれんぼ」などに興じ、母親からは「試合が始まる前に疲れちゃうわよ」と心配されたこともあった。

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