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ラグビー・松島幸太朗が語る桐蔭学園の夏合宿 夜は「藤原先生が怖くて」羽目を外せなかった (3ページ目)

  • 齋藤龍太郎●取材・文 text by Ryutaro Saito

【勝っても負けても花園で泣いた】

 ふかふかの天然芝グラウンドも、菅平の大きな魅力のひとつだ。

「僕らの(菅平の)グラウンドは天然芝で、そういう環境でたくさん試合できたのはよかったです。(普段練習している桐蔭学園の)土のグラウンドだとうまく走れないので、芝の上では思いどおりプレーできるという感触は、みんなあったんじゃないかなと思います」

 多感な時期であることと、夏合宿という特別な環境も相まって、思わず羽目を外したくなりそうなものだが、何かを「やらかした」話はなかったのだろうか。

「みんなちゃんとしていたので、何をしたらマズいのかは重々わかっていました。それに何かをやらかしたことがバレたら、藤原先生の怖さのほうが勝つので(笑)、何か変なことをするとかはなかったです。1回だけ誰かが夜にコンビニに行って怒られたくらいでしたね」

 規律を重んじ、その大事さを全員が理解していた桐蔭学園らしい一面と言えるだろう。そのように徹底してきた規律と、夏合宿を含む日々の練習の積み重ねが、2010年度、松島の最終学年の花園で結実する。決勝で東福岡と31-31で引き分け両校優勝、桐蔭学園にとって初の花園優勝となった。

「試合終了の瞬間は『あれ、もう終わり? 最後まで勝ち負けを決めずに終わるんだ』と思っていたので、その瞬間は達成感を感じませんでした。

 それでも最後まで花園でやりきって、桐蔭として初優勝できましたし、両校優勝というレアケースだったので、あとになって『よかったかな』という感覚にはなりました。自分たちの代としても3年間一緒にやってきた仲間といい形で締めくくることができました」

 汗にまみれながらも冷静に物事を考え、規律正しく過ごしてきた3年間。「エモーショナルになることはめったにない」という松島にも、汗とワンセットとも言える涙の記憶はなかったのだろうか。

「毎年、花園ではみんなで泣いていましたね。3年時の優勝だけではなく、日本一になれなかった2年時までの2大会でも、最後は涙でした。それまではラグビーをしていて泣くことはなかったのですが、桐蔭では毎年、最後だけはどんな結果で終わっても感慨深く受け止めていました」

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